日々垂れ流し。
by pyababy
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幸せの基準。

自分の幸せの基準がよくわからなくなってきた。

そもそも自分に幸せの基準があったのかは定かではない。
それ以前に自分が幸せと感じることも、実はそんなにないという事実がある。

幸せとは何を指すのだろうか。
そもそもの定義からして曖昧であるように思える。

心が満たされている状態を幸せと指すと、辞書では述べられていた。
心が満たされるというものも、曖昧すぎてよくわからない。

幸せというモノは状態を指すのであれば、
幸せを感じるコトという言葉に幾ばくの違和感を覚える。

幸せを感じるコトをしているからといって、幸せではないからだ。
もっといえば、幸せに感じないことをしていても、幸せを感じるときがある。

少なくとも僕の中ではそのような感覚があった。
それゆえに、僕の中での幸せは少なくともコトやモノではない。
結果的に訪れる心や体の状態であるように思えてならない。

ところで、僕は何かとの比較でしか幸せの価値を計ることができていない。
「あの人よりは幸せ」といった言葉が出てくるあたり、
自分の中での幸せの基準を相対的なものと捉えているのであろう。

それと同時に、犬と遊んでいるときなどは、
絶対値的な幸せを感じたりもする。

思うに、相対的な幸せは、そもそもの幸せとして成立していない。
比べたときに出てくるモノは、優越感であったり、劣等感といった、
そもそもの幸せとはほど遠い感覚である。

なんだかよくわからなくなった。
最近は答えが出そうで出ないものが多くて困る。
すぐに結論を導き出そうとするのは、自分の欠点の1つなのだと思う。
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by pyababy | 2009-06-03 01:22 | 日常
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