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秋の再読週間4この作品は辻仁成の作品の中でも、特別なものなのだと思う。 他の小説とは違い、モデルが存在していること自体も例外的であるし、 作中では幾度となく「死」という概念を考えることになるという点も異質である。 主人公の稔は、幼きころから生活の傍に「死」が存在していた。 それゆえに、いつか自分にも訪れることになる「死」を恐れ続けていた。 しかしそれでも人は生きなければならない。 逃れることのできない死と共に生きるというものが白仏では描かれていた。 作中での、稔にとっての「生」と「死」の概念はどんどん変化していく。 「どんなに遠くにいても会いたいと思い続ければいつかは会えるかもしれないというのが生だった。」 「この生涯続く疑問こそが存在の理由ではないか、と気づいた。絶対に見つからない答え。決してたどり着くことのできない真理。どんなに悩んでも安心を得ることのできない納得。つまり答えなど最初からないのだった。何故だろうと疑問を抱き続けることが生そのものではないか。」 「短かろうが長かろうが生を全うしたところに死という入口があるとです。わたしは理屈で死を捕らえるは好かんとです。死は思考を超え、存在を超えた深い宇宙ですばい。清美は死は無だと言いよったばってん、おっどんは死とは常にそばに在ることだと思うとです。生きたもんのそばに在ること、それが安らかな死だと思うとです。」「死は敗北ではありません。」 愛した人の死、友人の死、戦争における自らの殺人、 その他多くの死を乗り越えるたびに、稔にとっての「死」は変化していった。 多分自分にとっての死の概念が変化したからこそ、 初めて読んだ時とは受けた感想が違ったのだろう。 その意味でこの本は、一種の古典になり揺る可能性を秘めていると思う。 それくらい普遍的な問題を触れているし、内容も奥深い。 話の中で印象に残った言葉がある。 鉄砲屋だった稔が新兵器を開発しているときに心に思った言葉である。 「開発のせいで、確実に大勢の人びとが死ぬ。それを背負う勇気があるのだろうか」 結局稔はその重さに耐えきれず、自ら開発した兵器を封印する。 誰もが目の前の敵を倒すことに必死になっていた時代に、 死というものを自分の感覚で捉え、そして自分の意志に従った稔の生き方は、 僕にとっては格好いい大人であったように思う。 好きな作品だが、奥深さ故にあまり語れないのが残念である。
by pyababy
| 2009-09-25 02:04
| 本
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