日々垂れ流し。
by pyababy
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去年の話2。

去年は「後悔」と「死」ということを中心に考えていました。
読んできた本、話してきた内容、それら全てがここに繋がっていました。

「悔いはありません」
その言葉が凄く嫌いでした。今も嫌いです。

本気でやりきれば「悔い」は無くなるのでしょうか。
僕にはどうしてもそのように思えないのです。

僕が何かに打ち込んだとき、達成感と悔いは併存していました。
勝っても負けても、僕には悔いがありました。

逆に僕が適当に物事を行ったときは、
何も感じないか、達成感のない中途半端な後悔がありました。

本気だからこそ、振り返ったときに反省点が浮かび上がり、
「もっとできたのに」という「悔い」に気付くのではないでしょうか。
僕にはそのように思えてならないのです。

それゆえにこう思ってしまうのです。
「悔いはありません」という言葉は自分を納得させるためだけの言い訳なのだと。

だからこそ、「悔いはありません」という言葉が嫌いで、
「悔いはある。だけど、次はそれを活かす。」
そう言い切れる人間でありたいと思うのです。


「後悔したくないから」
その言葉も嫌いです。

何故後悔を嫌うのかが、僕にはわかりません。
自分の無力感に厭気がさすからでしょうか。
後悔を嫌う人間は、後悔のもたらす気付きに気付かないのでしょうか。

それを気付けただけで儲けもんだと思えないのでしょうか。
次に活かすために後悔はある。
そして自分の成長のために後悔がある。
このように考える僕は、後悔は嫌いではありません。
去年一年で、その思いがいっそう強くなりました。

「後悔したくないから何かをするのではなくて、
何かをしたいから何かを行う人間でありたい。」
後悔というものを考え続けたときに出た結論はそれでした。


「悔いが残る」
その言葉は、必死で生きた人間が残せる言葉なのだと今は思っています。
そしてその悔いを、自分のあとに生きる人間に託すことができたのならば、
これ以上に幸せな「死」はないのだと今は思っています。
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by pyababy | 2010-01-02 00:43 | 日常
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