日々垂れ流し。
by pyababy
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風が強く吹いている

風が強く吹いている

三浦 しをん / 新潮社



陸上素人が箱根駅伝を目指す話。

小説にここまで魅了されたのは久しぶりだった。
次のページをめくるのが楽しみで、500ページを一気に読んでしまった。
今まで数多くの小説を読んできたが、その中でも10指には数えられると思う。
それくらい面白かったし、熱中した。


「タイムだけが全てなのか?」
その問いは、結果を競う競技をする人間ならば、誰しもが考える問いだと思う。

結果だけが全てならば、結果の分かりきっている競技には何の魅力もなくなってしまう。
泳ぐ前から、走る前から、競う相手のタイムは知っている。
それゆえに、結果がどうなるのかも、ある程度は解っている。

自分が世界記録などは出せないことも、横の相手に勝てないことも。

競技の世界に身を置いていた僕は、時々そんなことを考え、少し虚しくなるときがあった。
勝てない勝負をして、何の意味があるのだろうかと、考えてしまうことがあった。

主人公の蔵原走(かける)は、タイムだけを競う世界に厭気を感じ、
高校時代に暴力事件を起こし、競技の世界から身を引いた。

もう一人の主人公である清瀬灰二(ハイジ)は、タイムを求めるがあまり、
怪我によって競技の世界から身を引かざるを得なくなった。

その相反する二人が出会い、周りの人間を巻き込みながら、
箱根駅伝という長距離走の聖地を目指していく。

その過程で、「タイムだけが、結果だけが全てなのか?」
という問いが幾度となくなされる。

そして本書の中では、駅伝を走るメンバー一人ひとりが考える、
その問いに対する答えが綴られていく。

「いいかげんに目を覚ませ!王子が、みんなが、精一杯努力しようとしていることをなぜきみは認めようとしない!彼らの真摯な走りを、なぜ否定する!きみよりタイムが遅いからか。きみの価値基準はスピードだけなのか。だったら走る意味はない。新幹線に乗れ!飛行機に乗れ!そのほうが速いぞ!」
ハイジが走に対して語る言葉が、心に染みた。

ハイジの高校時代のチームメイトであり、大学陸上界のTOPに君臨する藤岡は、
「日本人選手が一位になれば、金メダルを取れば、それでいいのか?断固としてちがうと、俺は確信している。競技の本質は、そんなところにはないはずだ。たとえ俺が一位になったとしても、自分に負けたと感じれば、それは勝利ではない。タイムや順位など、試合後とにめまぐるしく入れ替わるんだ。世界で一番だと、だれが決める。そんなものではなく、変わらない理想や目標が自分の中にあるからこそ、俺たちは走りつづけるんじゃないのか」
と、走に語りかける。

キングは、
「走るというものはもっと純粋な、自分のための行為であるはずだ。」
と。

結果が分かりきった勝負の無意味さを語る双子に対し、
「優勝できなきゃ、走れないのか?じゃあおまえら、いずれ死ぬからって生きるのやめんのかよ」
と、走は語りかける。

箱根を走る中で双子のうちの一人は、
「俺が、俺たちが行きたいのは、箱根じゃない。走ることによってだけたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所。いますぐには無理でも、俺はいつか、その場所を見たい。それまでは走りつづける。この苦しい一キロを走りきって、少しでも近づいてみせる。」
と、ハイジや走の伝えたかったことを感じ取る。

浪人に留年を繰り返した男は、
「綺麗事を言うつもりはない。走るからには、やはり勝たなければならないのだ。だが、勝利の形はさまざまだ。なにも、参加者のなかで一番いいタイムを出すことばかりが勝ちではない。生きるうえでの勝利の形など、どこにも明確に用意されていないのと同じように。」
と、箱根を走る中で人生の意味と、そして走る意味を思う。

走や他のメンバーに走る意味を体で示し続けたハイジは、
「必ずそこまでたどりつく。強く吹く風が教える。俺は走っている。俺の望んだとおりの走りを、俺はいま体現している。すごくいい気分だ。これほどの幸福はない。」
自分の足を捨てて走り続ける中で、幸福を感じ取る。

走ることに悩み続けた走は、「その答えを知りたくて」、走りつづけている。


引用ばかりになってしまった。

この小説では走ることの意味を問うているが、
これはそのまま「生きることの意味」にも置き換えられる。

「結果」だけを求めて生きる生に何の意味があるのか?
この小説は、そう、強く問いかけてくる。

その問いに対する答えを、走たちに託したのかもしれないと感じた。

走たちはそれぞれに、その意味を考え、自分なりの答えを走る中で探していく。
僕らが生きる中で生きる意味を探すのと同じように。

目に見える結果が全てじゃないと、そして、走りつづける、生きつづける、
その行為自体が大切で美しいのだと、著者は僕らに訴えかける。

そんな生の意味を強く感じさせる小説だからこそ、魅力があり、
僕を惹き付けてやまなかったのだと思う。

また、この小説の中では、「自由」といこともテーマの1つになっている。
走やハイジは、自由のない競技の世界に厭気をさし、自分の道を歩こうとした。
だれにも強制されることなく、自分の意志のもと、自分の思いを実現していく姿に、
著者の思う「自由」というものを感じた。

先日森博嗣の自由をテーマとする新書を読んだからか、
自由に生きる彼らの姿がすごく魅力的に感じた。

最後に自分の気に入った箇所を引用して終わる。

「成功も失敗も、いまこのとき、自分の体ひとつで生み出すものだ。
だから楽しく、苦しい。そして、このうえもなく自由だ。」
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by pyababy | 2010-01-11 02:36 |
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