日々垂れ流し。
by pyababy
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目標のためにする努力ということに対して思うこと。

「ここまで」というゴールを決めてしまえば、人はそれを乗り越えることができてしまう。
といったことを、どこかの本で読んだし、日々実感している。

そしてそのゴールに対して何らかの報償があったり、
達成できなかった場合に罰則があったりした場合には、
ゴールを達成することはいとも容易なものとなる。

例えば、お小遣いに釣られて行う試験勉強であったり、
会社から強制される資格試験などである。

これらはいわば、自分のための努力ではなく、
報償、あるいは罰則を受けないための努力であるといえるのだが、
このような「目標に向かって努力をする姿」というものは、
何故だか賞賛され、努力することの大切さが厭というほど語られている。

でも僕はあえて、そのような姿はクソだといいたい。
与えられた目標や、報償が無いと達成しようとも思わない目標に向かってする努力の、
どこが素晴らしいというのだろうか。

僕にはそんなクソみたいな努力を推奨する人間はクズだと思うし、
そんな努力に対して満足してしまう人間もクソだと思う。

努力がダメとも、目標を立てることがダメとも言っていない。
努力する対象がおかしいと言っているのだ。

例えば、試合に出るわけでもないのに、日々走りつづける市民ランナー。
ただ強くなりたいという思いだけで、日々練習する格闘家。
知りたいという欲求だけで、日々研究を続ける研究者。

努力っていうのは、そんなことをいうんじゃないのかな?
目先の欲なんて何もなくて、ただ純粋に、
自分の求める何かを達成するためにするものなんじゃないのかな。

そこには意味も何もなくて、誰かとの比較も、ゴールも何もない。
ただ上を目指すためだけにするものなんじゃないのかな。

僕はそんな風に努力というものを捉えている。
それゆえに、多くの人間が語る目標達成のための努力というものは、
努力でもなんでもなくて、それらを語る人間はクズだと思うのだ。

僕は、自分のために努力できる人間でありたい。
誰かから与えられた課題や、何かを得るために行う努力ではなくて、
自分のプライドのために努力できる人間でありたい。
その思いが、今の僕を、今までの僕を、これからの僕を動かしている。
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by pyababy | 2010-01-25 01:39 | 日常
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