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日々垂れ流し。
by pyababy


you and I

久しぶりにとある友人と飲んだ。
対人関係についての話をつまみに。

話をしてて思うことは、僕はほんと良い友人に恵まれているということ。
絶対的な友達の数は多いとは思っていないが、自分のことを心配してくれたり、ちゃんと見てくれてたり、駄目な時には叱ってくれたりする友達がちゃんといる。このことは僕にとってすごい良いことだと思ってる。僕がその彼らに対し何かができているとは思えないが、彼らにとってのよき友となることができたなら、これ以上に幸せなことはない。


某TV見てて思ったが、やはり人は無意識に自分の足りないものを欲するんだろう。
いじめ問題を、自分の持っていないものを持っている人への嫉妬からくるものという彼の意見はおおむね同意できる。相手を認めたくない心、これが大きいと思う。いじめてる対象が、実は自分よりすごいということを認めたくないという心理。これがさらにいじめを助長している原因じゃないだろうか。

でもこうやって考えた場合、いじめは確実になくならない。
人は完璧でないため、何かしら足りないものはあることに対し、それを持っているであろう人は、確実にどこかにいるからだ。そこからいじめに発展するかどうかは、お互いの長所短所を認め合えたかどうか、これが重要になってくると思う。お互いに認め合わず、相手の長所に嫉妬してしまった場合、それがきっかけでいじめとなる可能性がある。

逆を取れば、相手の長所を認めることさえできれば、いじめに発展する可能性は減るであろう。

なので僕が思うのは、どちらかといえば個性を伸ばす教育よりも
協調性を伸ばす教育の方がいじめ問題には効果的なんじゃないだろうか。

今の日本においては、他人とうまく合わせることが協調性ということになっているが、僕が言いたい協調性は、目的達成のために個人が集合体となって物事をなすということだ。それの前提に来ることが、他人を認めるということだ。他人を認めれるからこそ、力をあわすことができる。自分の足りない部分を他者に補ってもらうことに対する危惧感などをなくすことが大事じゃないだろうか。ある意味、自分は完璧じゃないということを認めさせることも大切になってくるのではないだろうか。

自分が完璧であると思っているからこそ、それの例外となるべきものを認められない。
その例外が弱者であった場合、いじめに走ってしまう。
自分が完璧であるというプライドを、一番最初に教師が折ることができればいじめが減るんじゃないかと思う。勝てない存在がいることを絶対的強者が認めさせ、完璧であったはずの自分が実は普通の欠陥のある人間だということを認めさせる。初めから、良い意味でも悪い意味でも例外はいるんだということを先に認めさせることが大切じゃないだろうか。そしてそれを認めさせることが教師の役割じゃないかと僕は思う。


何書きたいかよくわからんくなった。


とりあえず今日は財産権。
何かを規制するのは、何かの目的と意味を持ってやることだから
その意味と目的の部分をきちんと把握していけばちゃんと学んでいけると思う。
酒はいってるから夜は勉強なし。腕立ては肘痛いから腹筋にでも変えようか検討中。
by pyababy | 2006-11-05 23:18 | 日常
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