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日々垂れ流し。
by pyababy


病気なのは大学か、大学入試か。

青色発光ダイオードを発明した中村修二さんが、某TV番組で、
「大学入試は現在の教育における癌である。」といった話をしていた。

僕自身は大学入試自体は経験していないのでなんとも言い難いが、現状を見てる限りでは本当にそう思う。高校の存在理由も、大学に行くために通うなんていったことになってるのも、現状の大学入試の無駄な難しさからきてるし、その他の教育事情のほとんども、良い大学に入るための教育といった感じになっているからだ。

正直なところ、大学入試のための勉強で基礎的な学力を試すとしても、それのせいで学習機会が失われてしまう現状はいいとは思わない。中村さんもいってたが、社会人の人などの大学へのリトライなんかは、入試があるがためにほぼ不可能になっている。やりたいときにやりたい勉強すらできないってのはどうなのかなと思ってしまう。

大学入試にもメリットはあるし、ある程度の学力での分類ってのは必要だとは思う。
同じレベルの人たちを集めた方が学習効率は上がるだろうし、高度なことをやろうと思えば最低限の知識なんかは問われるべきだとは思う。でもそれだけなら、高校卒業資格だけでも良いように思える。(それだけにするとしたら、高卒としての全国的な均一化を図るために、なんらかの試験の形などで学力の均一化はするべきだけど。)

僕としては、アメリカ的な入るのは簡単だが卒業は難しいといった大学の形態の方が良いと思う。高卒資格があればほぼ誰でもほとんどの大学に入ることができるようなシステムにして、その代わりに講義について来れないような人は単位をとりにくい仕組みにする。そして退学勧告なども容易に出せるような大学にして、ちゃんと勉強なりをしないと卒業しにくい大学にしていく。

こうした場合、卒業を目指すのであれば自然と自分の学力、やる気に合ったところに行かないと厳しい情況が生まれるし、勉強をしたい人にとっては枷となる入試のための勉強なんかがなくなり、本当にしたいことをできるようになる。講義などもついていけなければ置いて行くなんていう雰囲気を浸透させれば、真面目に勉強をしたい人は積極的にやっていくだろうし、落ちる人は落ちるから、学校としての役割は果たせるんちゃうかと思ったりもする。

正直なところ、大学において勉強してなかったことで困るのは本人であるし、大学側が無理に学生を絞る必要はないんじゃないかと思う。それよりはやる気や独創性のある人を求めていく方がいいんじゃないかなって。

そんなことも、営利目的と化した現状の大学には、求めることはできないのかもだけど。
大学入試が学校の収益の中で重要なところを占める大学なんかは多いみたいだし、大学の生き残りのためには必須なのかもしれない。でも大学の収益のための生き残りってのを考えた時に、なんとなく思うんだけど、所謂ニートやフリーターの再チャレンジの一環としての大学であったり、社会人の二度目の大学なんかの需要を満たそうと思えば、入試というものをなくしたほうが人は集まってくるんじゃないかなと思う。彼らが大学へ行くのをためらわせている理由には、やっぱり大学入試ってものはあると思うし(もちろんそれだけじゃないけど)、それを取り払うってのも逆にいいんじゃないかって思う。

結局のところは、大学入試が癌なんじゃなくて、大学という教育機関が本命の病気なんじゃないのかなって思ってしまう。どうやって治療していくのかはわからないけど、癌といわれる大学入試の改革は早めに行わないと、大学自体も手に負えなくなるのかもね。


そんなことは頭の中ではいくらでも考えられるんだけど、何も実行に移すことのできない自分の未熟さとかに対して、悔しい気持ちなんかがあふれてくる。
by pyababy | 2007-01-05 02:26 | 日常
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