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日々垂れ流し。
by pyababy


匿名に問われる責任

NETは匿名なのかどうなのかといわれれば、匿名性が高いだけとしか答えようがない。
何を書いても匿名だからOKみたいな風潮はなきにしもあらずだけれど、現実的に考えればIPを調べたり、サーバーのログなどを読み取ることで誰が書いたものであるのかということは知ろうと思えば知ることは可能だからだ。

つまり、一般的には匿名であるが、特定の人物からすれば匿名ではないのである。

匿名での発言は責任のないものが多いと一般的にいわれている。
そのような批判をするのはが自らの名前を出している著名な人であることが多い。しかし、彼らのような著名な人が発言するからこそ責任がでてくるのであって、一般市民の発言においては責任どうこういわれるレベルではないように思える。

だからといえども責任のない発言を認めることはあまり良いとは思えない。
一般市民である彼らにも、彼らなりの責任に対応した発言はすべきである。

ここで僕が思うことは、このBlogに対する僕の発言は、責任があるものなのかどうかということである。僕個人としては、それなりのNET上での発言としてふさわしいものにはしているつもりではある。しかし、記名をしているわけでもないし、誰が書いている文章であるのかということは、僕以外にはわからない。そんな意味では責任のない匿名の発言ともとることはできる。

ところがこれにも例外があり、このBlogを書いている僕という人格を、NET上だけでなく現実社会でも知る人がいるということである。その人たちからみれば、僕という一人の生きている人間が書いている言葉であり、彼らにとっては匿名のBlogとは言い難いものではある。その意味では記名の責任のある発言であるともいうことはできる。

実際のところは匿名だろうが記名だろうが関係なく、その発言が存在した事実、そしてその発言による効果が多くの人に及んだか、などといったことの方が大切であろう。

そしてNETにおいても現実社会においても、完全な匿名というものは存在しないため、匿名だからといった区別は特にする必要がないだろうと僕は思う。

ただ、匿名に近いからこそ書けるものがあるということ、そしてそれこそが、
社会的に弱い立場にある人の発言であることを忘れてはいけないと思う。
by pyababy | 2007-01-20 23:56 | 日常
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