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趣味は現実逃避
遊びの自己紹介の欄には、大体そんなことを書いてます。
現実が嫌いというよりは、ある意味での自分のみの世界である現実ではない世界というのが好きなんだと思います。 現実には現実の良さがあります。 それは自分以外の他人が、自分の意識の外に存在していることです。 僕が逃げ込む現実ではない世界には、他人は存在しません。 僕の他に存在するのは、僕が作り出した存在のみです。言い換えるならばそれは僕の頭の中にある世界であって、ある種の僕そのものでもあります。 現実から逃げたときに存在するのは、いうなれば僕のみなんです。 しかし僕が逃げる現実というのは、ただの他者がいる世界ということです。すなわち逃げたいものは、現実世界そのものではなくて他者からなんだと思います。 つまり、他者というものが僕の中での現実の存在理由であり、現実を否定する理由にもなっているのです。 僕は他者の存在ということに悩み、そしてそれがいない世界を求めつつも、他者というものを本能的に求めるというパラドックスを抱えているのです。 だからといっていくら逃げても、逃げた後にあるのは現実という存在そのものなので、現実逃避というものは完成させることができず、僕の中でも、他者にとっても趣味の領域からはでていきはしないのです。 だから僕らは最終的には現実を見つめ、現実の中に生き、現実逃避という夢を抱きながら死んでいくんだと思います。
by pyababy
| 2007-07-15 01:38
| 日常
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