カテゴリ
全体日常 本 転職 未分類 以前の記事
2016年 01月2015年 12月 2015年 04月 2014年 10月 2014年 04月 2013年 12月 2013年 04月 2012年 12月 2012年 01月 2011年 05月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
人を信じてみること。
生きるためには当たり前に行わないといけない行為なんだけど、
多分生きる中でTOP3くらいに難しい行為だと思います。 僕自身あんまり人を信じてなくて、最悪この人に裏切られてもなんとかなるといった感じの保険付きの行動をすることが大半です。 ある程度は信じたいから表面上は信じるし、多分この人も僕のことを信じてくれているっていうのは感覚としては理解できるんだけど、一番奥底では完全に信じ切れていない自分がいて、多分完全に信じてくれていない相手がいます。 これは僕がその程度の人間関係しか作れていないこと、僕自身が幼すぎることも影響しているんでしょうけど、それだけじゃなくて人間の本質的な問題だと思います。 少し僕の友人の話をします。 彼とは結構付き合いも長く(といっても本格的に仲良くなったのはここ2年くらい)、お互いのことは結構知っています。 何が好きであるか、どんな存在なのか、その程度のことはさすがに付き合いの長さから勝手に理解してはいます。 ある程度理解できているから話していても面白いし、思考が似ていることもあって一緒にいるのは面白いから人間としては結構好きです。 ですが彼にも問題が一つあります。 それは彼が「わからないことをわからないといえない」人間ということです。 知ったかぶりに近いんですが、それとは一線を画しているもう少し上位の知ったかぶりといったような感じです。 ある話題を振ったとすると、彼自身はそこまで詳しく知っていなくても、他の情報や僕が喋った内容などからある程度のことを推測して話すべき内容を見いだし、詳しい内容を話す振りをすることができるのです。 正直いって彼はこの能力に長けすぎていて、一般人じゃまず見抜けません。 僕も彼と一緒にいる時間が長くなって初めて気付きました。 こいつ実は知らないんだって。 まあ僕自身くだらん話をするのが好きなので、それでも気にせずきいてくれて、適当までの相づちを打ってくれて、知ったかぶりでも「知らないよ」と切り捨てられるよりはマシだと思っているので、今は彼のその能力に気付かない振りをして過ごしています。 多分僕自身がこだわりすぎているところもあるんでしょうけど、そのような能力に長けている人って、最後のところで信じられないんですよね。 彼と一緒にいるのは楽しいし、彼自身は好きだ。 だけれども彼と一緒に本気で仕事ができるかといえば確実にNOなんです。 理由は彼を信じられないから。 普段の遊びの会話なんて正直なところウソでもなんでも面白けりゃいいんです。 人を陥れるようなウソとかは嫌いだけど、その場が楽しくて周りの人も傷つかないようならほんとなんでもいいと思っています。 でもそういうところでウソをつく人って、大事なところでもウソをつくんです。 それがもう体と心に染みついちゃっているから。 僕が危険なことを感じたら即逃げる癖がついているようにね。 そんなこんなで彼が信じられなくなって、今は結構疑心暗鬼だったりします。 ああこいつまたしったかかよwwwwwとか内心で思っていたりします。 まあ僕はその場は面白いからまあいいかなとは思うんですが、彼自身気付いているとは思うのですが、その能力が他人にばれたとき酷いことになるんですよね。 全ての人が僕のように結構なんでも流せるタイプじゃないので、それについて言及したりする人も出てくるし、一度ウソがばれると他に付いていたウソまで全てばれるんだよね。 もちろん彼自身頭も良い存在なので、そんなミスはまずしないだろうけどね。 だけど僕が気付いたってことは、僕より頭の良い人間はそれらのことに気付くわけで、彼らにしたら嘲笑の対象になるんだなと思うと、今のうちに言ってあげたほうがいいのかなと思ったりもするのです。 結局僕はかなり仲の良い友達すら信じられなくて、多分今信じられる人間って0ちゃうかなって思ったりします。 なんていうか信じたいんだけど、ちょっとのことで信じられなくなるんだよね。 一回でも疑いたくなるようなことがあれば、その時点でもう完全に信じられなくなる。 その疑いが晴れたらまた信じられるかもしれないけど、完全にその疑いが晴れることなんてまずないしね。 だからいくら信じようとしても、本気で信じるのって不可能に近いんだよね。 相手が完璧な存在ならば完全に信じることができるんだけど、そんなのいるはずもないし、いたとしてもみんなが神と呼んでる存在だけだろうしね。 それゆえに今の僕は人を信じるということを完全に諦めています。 上にも書いたけど、人を信じるためには自分の力だけじゃなくて、相手がどのような存在であるかということも影響するから、多分今の僕には一生無理だと思うから。 でもその代わり最近はこう思うようにしています。 信じることは無理だけど、疑わないことはできるかなって。 疑うって行為は完全に主観的なものだから、他人に影響されないんだよね。 疑わないってのもそれと同じで、たとえ相手がどれだけ疑われるべき行動をしていても、自分だけは疑わないっていう選択をすることができる。 信じると疑わないって同じようなものなんだけど、少し違うんだよね。 僕には完璧に人を信じるっていうのは不可能なんだけど、疑わないってことだけならできると思うんだよね。 それでも結構難しいんだけど、それくらいはしてみたいと最近は思う。
by pyababy
| 2007-08-26 19:11
| 日常
|