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しょうがないってことにして。
過ぎちゃったことはしょうがない。
何かにケリを付けたいときとか、諦めをつかせたいときに言い聞かせる言葉です。 過去は振り返ってもしょうがないから次頑張ろう。 僕はこんな使い方が好きだったりします。 でもこのしょうがないっていう言葉は、逃げの言葉とも取れるんですよね。 できなくてもしょうがない。 そんな風な、何かができなくても当たり前といったような使い方をするときです。 この使い方は好きじゃないんですが、しょうがないという言葉のイメージとしては、僕の嫌いな使い方の方がメインになりつつあるように感じます。 まあなんていうか、いつまでもズルズル引きずっていくより、ほんとにしょうがないことだったんだってことで無理矢理にでも諦めを付けた方が、それからを生きていく上では頑張っていけるんですよね。 もちろん本気で諦めが付くことなんてほとんどないんですけどね。 だけどいちいちずっと悩んでいられないし、過ぎてしまったことはいくら悩んだところで変えることはできないっていう現実があります。 だからこの言葉を使って自分に言い聞かせて、明日からは頑張っていこうっていう風に思うことが大切じゃないかなって思ったりします。 変えることのできない過去を素直に受け止められるほど強くないから、しょうがないっていう諦めの言葉を使うことで受け入れようとするのかな。 たとえ諦めの言葉であっても、次の希望へと繋がっていくこの言葉が僕は好きです。
by pyababy
| 2007-09-02 21:57
| 日常
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