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日々垂れ流し。
by pyababy


心を落ち着かせるところ。

清水寺なんかに行ってきました。

行くのは多分7-8年ぶりだと思います。
ずっともう一度行こうって思いながらも、寺廻りなんかを一緒にしてくれる気の長い友人はほとんどいなく、今日は無理矢理人を誘っていきました。

なんとなく思うんだけど、外人多いよね。
観光地だから外人が多いのはわかるんだけど、多分半数くらい外人。
日本人よりカメラを本気で撮るのが外人。

昔は眼鏡+カメラ=日本人だったのに、今じゃカメラorビデオカメラ=外人だねえ。

まあほとんどの人が写真をバンバン撮ってるわけですが、僕は相変わらず写真が嫌いなので一枚も撮っていません。

過去の自分が残るってことが耐えられないんですよね。
写真を見て思い出にふけることも楽しいのは理解しているのですが、そのときの過去だった自分を見るのがなんだか辛いのです。

で、彼らはまあ清水寺の風景ばかり撮っているのですが、あの本堂の中の美しさを本気で感じてた人って全然いないのね。

かくいう僕も初めて来たときはガキすぎて何も気付かなかった。
でも今はすごく色々なところに目がいった。

立て直されているとはいえども、仏像の配置、扉の模様の在り方、壁に掛かっている絵の計算された美しさ、それら全てが完璧に計算しつくされた上での美であって、そこにあることが当たり前と感じさせるほどに一体化する美しさに少し感動してました。

別に建築とか美術とか専攻してるわけでもないのでなんともいえないのですが、当たり前のようにおかれているものの細部にまで拘っているところが、なんだか日本人らしいというか無駄な部分へのこだわりが凄く好きなんです。

ぱっとみじゃわからないんだけど、見るやつは見るみたいなものが。

まあ僕はある意味で現世とは違う場所である神社とか寺が好きなんですよね。
日常と少し離れている場所みたいな感じがして。

そしてそこにいると凄く落ち着くことができて、周りを忘れることができる。

その風景を見ているだけで何日でも過ごすことができる。

それくらいに魅入ってしまうだけの魅力を感じるんだよね。

だから他の人と来ると、一人だけずっとじーっとみてて、一緒に来ている人を完全に放置しちゃうからいっつも悪いなーって思ってしまう。

その辺を含めて受け入れてくれる人がいたらいいなーとかなんとなく思います。

でまあ本道の中に鐘たたける場所があって、本気で集中ってのを久々にしてみた。

心を落ち着かせて、無になってみる感覚。
凄く久しぶりに、全てを忘れて、一瞬だけでも無になれたかなって思った。

何も考えない、だけれどもしっかり物事は把握できてる状態っていうのかな。

まあよくわからんが、音が消える世界。

そうなったときに自分の心の中で一つの願いみたいなのが自然にでてきた。

自分が進みたい方向はこれでよかったのかなって思ってたときに、その答えとなるべきものが自然と出てきて、その後にどう進むのかってことも頭じゃなくて心で理解できてる感覚が少しだけだけどあった。

ああいう特殊な場所って、色んな意味で心を研ぎ澄ますよね。
多分普通に通るだけじゃわからないと思う。
だけど落ち着いてしっかりと見て、とけ込んでみるとすごく自然体になれる。

僕の中でそんな認識ができあがってることも影響してるだろうけどね。

ただ久しぶりに無になれたこと、今後の方向をしっかりと定められたこと。
これだけでも十分だったなって思える。

寺廻りとかゆっくりしたいなあ。

問題は連れがすごく暇そうだったくらいか。
やっぱり一人でいくのがいいのかなあ。
でもつまらないしなあ。
by pyababy | 2007-09-05 00:05 | 日常
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