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初心者の気持ち
何をするにおいてもある程度の実力に達すると、成長の比率は小さくなります。
ある意味でそれはその物事を極めつつあるのかもしれないのですが、その状態になったときに僕は、過去の初心者だった自分が羨ましくなります。 特に何も気にしなくてもどんどん上手になっていた頃。 うまくなるのが目に見えるから練習が楽しかった頃。 それに対して毎日必死に努力しても成長しているのかどうかすらわからない今。 練習だけでなく物事自体が楽しいと思えなくなっている今。 これらを比較したときに、初心者の頃の方が楽しかったなと思ってしまうのです。 成長の結果が目に見えていないだけで、実際は練習した分だけなにかしらの成長はあるのかもしれませんが、目に見えない成長を意識できるほど僕は強い人間でもなく、目先の目に見える成長に心を躍らせてしまうのです。 上手になりたいと思ってはじめたことが、ある程度上手になるとつまらなくなってしまい、結局やめたいと思うようになってしまう。これは僕だけなのかもしれませんが、その矛盾が僕を少しいらだたせます。 もちろん初心者を脱した今だからこそできることっていうのも沢山あります。 うまくなるまでは見えなかった世界が見えていたりもします。 ですがそれよりも僕は、成長する楽しみというものが好きなのだと思います。 この目に見えない成長というのが、僕には耐えられませんでした。 僕が競泳をやめた理由は間違いなくこれです。 1年必死に努力してもタイムが伸びない。 いくら必死に練習しても成長している気がしない。どんどんタイムが伸びていく後輩を横目に、僕はモチベーションを保てなかったのです。 でも今になって思えば、競泳においてタイムを伸ばす以外の楽しみを見つけていたらよかったのかもしれません。 競技の性質上タイムというもののために努力をするのは当然なのですが、ある程度の域に達すると伸びが悪くなるのが当然なのに、それでもタイムしか僕は考えていなかったことがある意味での悪因だったのかもしれません。 でもその気持ちと、タイムのためには日々常にそれを伸ばすことを考えなければいけないという競技の常識との天秤がなかなかに難しいとも思います。 タイムの意識を減らせば当然伸びる可能性もなくなるわけですし、かといってそれを考えすぎると厭になってしまいます。 目に見えない成長に耐えること、むしろその成長を好きになること、もっといえばその物事自体を常に好きでいることがやはり大切なのかとも思います。 好きこそものの上手なれとはよくいったものだと、改めて思います。 僕みたいな打算的な考えが中心にある人間には、なかなか難しいのですけど。
by pyababy
| 2007-11-08 23:40
| 日常
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