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何を感じ、何を伝えるか。
11月は何故だか半端ない量の本を読んでいたりします。
そんな僕は、最近本を読むときに自分が「読む」部分が変わってきました。 小学生くらいのときはひたすら活字を追っていて、その中で出てきた場面を想像して楽しむことが中心でした。基本的に物語ばかり読んでいたので、シーンを想像してwktkくらいしかすることもなかったんですけどね。 そこからだんだん場面の美しさよりも文章の美しさを求めるようになりました。芥川であったり、過去の名作といわれるものや、江國香織や京極夏彦といった新しいながらも言葉の使い方がうまい本を求めていました。多分これは自分でも少し文章を書くようになって、参考にしたかったモノもあったし、京極の桜の表現が凄く素敵で魅せられたのも大きかったかもしれません。 大学に入ってからは、学術書なども多く読むようになりました。小説などと違い学術書は文章の処理能力が問われていました。著者が何を言っていて、どのような論理構成でなんという主張をしているのか。そんなことばかり考えて読んでいました。 でもそれが最近は変わってきました。 「その本を書いた人が何を感じながら、何を伝えたいと思って書いているのか。」 これを自分の中で考えるのではなく、感じることが中心になりました。 言葉で説明しにくいのですが、ひたすら本を読んでいくうちに、自分が筆者になりきるというか、ある意味筆者と同化させることでその文章を書いていたときの筆者の気持ちがなんとなくだけどわかるようになってきたといった感じでしょうか。 文章の巧さや物語の構成の巧さ、または学術的な主張の明確さなどももちろん大切なのですが、それ以上に本を通して伝わってくる感情、気迫、その他の部分を「読む」ことができるようになったというのが近いかなあ。 そのおかげでというか、自分の中での名作と駄作の区別がはっきりつくようになりました。 何も伝わってこない本は、正直いって駄作。一ページごとに著者の気持ちがビンビンはいってくるものは、内容がどうであれ名作だと。 読書の仕方ってのは様々だと思うんだけど、今の僕はそんな読み方が好きです。
by pyababy
| 2007-11-28 00:53
| 日常
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