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日々垂れ流し。
by pyababy


技術に憧れる

技術者系の人の話を読んでいると、
手に何の技術もない自分がすごく恥ずかしく思ったりします。

現実的に考えて今の僕にあるスキルなんて、
・超愛想笑い
・年上には好かれる
・考え方がキチガイ
・頭の回転がそれなりに速い
といった感じの形で表せない、そして他人にとってはどうでもいいものばかりです。

技術者ってある意味その技術だけで自分の存在証明ができるから憧れるんだよね。
多分これはとなりの花は赤い的な話なんだろうけど。

文系で学ぶことって価値的にどうなんだろうって最近よく思う。知識として知っていたり、それが知恵として使えるようになったりしていても、外部からみたらそんな判断はできないわけで、あくまで自分の中だけのものになる。他人がどう評価するかは時の運というか、どの状況の自分を魅せられるかによって間違いなく変わってくる。

技術的なものだと、それを証明さえすれば自分がどの程度の人間で、どの程度のことが可能であって、何の役に立つということがかなり明確にわかる。

技術ではなく考え方であったり人としてのあり方を学ぶんだ!!
なんて思ってはみても、技術学ぶうちにそんなの追いつくよなあって。

自分の価値というか、他人と比較したときに見えてくる付加価値って文系の場合相当奇妙なことでもしないかぎりつかないよなーって改めて思っています。

死ぬほど勉強するか、それとも突拍子もないことをするか。
あるいは他人が目を付けなかったところで勝負をかけるか。

どれにせよ自分になんらかの価値を付けない限り、生き残れない。
別に社会で生き残ることが目的でも何でもないんだけど、自分の本当にやりたいこととかをしていく上では最低限社会で生き残らないといけないし、なかなかめんどくさい。

この社会というものは、本来ならば自分が生活しやすい場として存在しているはずなんだけど、実際生きてみると何故だか生きにくいのがほんとに不思議。

歴史的過程なんかを見てると、必要だから、あるいはそうする方が市民生活上楽だからできてきた色々なシステムが、僕にとっては明らかに邪魔。

でも邪魔だけど、みんなが円滑に生きるためには必要なのは理解できる。

多分この僕らが生きる社会って、全員が8割くらいの幸せなりを掴むことができることを目的として作られてるんだよね。だからそれ以上を臨む人には枷でしかないし、他人は足手まといにしかならない。

だけれども、今現実として僕はその社会の中にいる。
そのためには最低限のルールは守らなければいけないし、この社会で生きるという変えられない事実の中では僕もそれに従うことがもとめられる。

僕の手では変えられないものの力があまりにも大きい。
それを考えたときに自分の無力さを痛感し、そこでも戦える武器がほしくなる。

そして安易な考えの僕は目に見える形の技術という武器に憧れ、自分が今まで磨いてきた形にならない武器、いわば戦術や戦略の部分を疎かにしようとしている。

よくよく考えてみれば、そんなに悲観的に考えることも何もないんだけどね。
ただ一時の安定のためだけに小手先の技術をつける逃げ道はあまり良くないと思う。
もう少し大局的な視点から自分に必要なものを見極め、それを身につけることを重点的に行っていきたい。
by pyababy | 2007-12-10 01:44 | 日常
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