日々垂れ流し。
by pyababy
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「頑張らない」を「努力」する。

今日の新聞にタイトルのような話が載っていました。

僕の中の努力という概念は、あくまで作為的な積極的なものであり、消極的なものを努力と話す彼女の話は魅力的でした。

今の僕のような、ある程度健康であって、多少の無理をしたとしても生活に支障をきたさない人間にとっては、努力は積極的な作為であることが普通です。しかし、病気をしていたり、特殊な事情がある人間にとっては、普通ならばもっと頑張って何かを行うところで、我慢をするという行為が求められます。

その我慢をするのが、彼女の言う努力なのだそうです。

不作為での努力の実現というのが、斬新だなと。
そんな努力って、明らかに他人には認められない努力だよね。

努力のほとんどは他人に認められることはないということを理解しているけれども、不作為で実現する努力は、他人には知りようがない。作為であれば、何かしらの結果が残ることもあって、知ろうと思って注意していれば知ることは出来る。

だからこそ僕らも努力をして、他人に何か認められるのではないかという期待を心の底で考えた上で、何かを行える。

だけどそれがない努力ってのは、本当に自分のための努力になるんだよね。
誰のためでもない自分のためだけの努力。自分が幸せになるための、自分が精一杯生きるための、そのためだけの努力。

そんな努力を普通に行っていけるそんな彼女に憧れます。
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by pyababy | 2008-02-11 00:30 | 日常
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