日々垂れ流し。
by pyababy
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消去した記憶と忘れたこと。

忘れられることが、生きることを楽しくしてると思う。

辛い記憶はどんどん忘れていって、楽しい記憶は繋ぎとめようと努力する。
写真に残したり、日記に残したり、毎日思い返したりしながら、あのときの記憶をずっと持ち続けようと、そのためだけに必死になれる。

それでも思い出は勝手に薄れていって、思い出そうとしないと思い出せなくなる。

忘れてしまった記憶も、何かのきっかけで思い出すことがある。当時聴いた音楽、一緒に行った街、一緒に見た映画、そんなものが記憶の引き出しの鍵を開けてくれる。忘れていったはずなのに、鮮明に思い出させたその記憶は僕らの心を潤していく。

この忘れないようにしようとすることと、思い出せたときの幸せが、人生においてすごく大切なものだと思う。そして、辛いことは勝手に忘れていけるということが、生きることをより簡単にしていってくれている。

記憶が薄れていくときが、僕は好きだ。
思い出そうとして思い出せなくなりそうなときが。
思い出した記憶が、実際の過去とは違っているかもしれないときが。

そのときに生きているんだと実感できるから。
過去にあった辛い記憶がなくなっていくことを自覚するときに、次に進めるから。

完全な削除か、完全な保存しかできないPCの世界とは違うこの現実が、生きているということなんだと、最近になって思う。
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by pyababy | 2008-02-15 01:04 | 日常
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