日々垂れ流し。
by pyababy
カテゴリ
全体
日常

転職
未分類
以前の記事
2016年 01月
2015年 12月
2015年 04月
2014年 10月
2014年 04月
2013年 12月
2013年 04月
2012年 12月
2012年 01月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


何が僕らを生かすのか。

僕たちが持つ疑問のほとんどは、
「何故僕らは生きるのか。」「自分は何なのか。」
といった問いへと抽象化されていくと思っています。

例えば「何でご飯を食べるのか」という問いだとすれば、「何故食べるか」→「腹が減るから」→「何故腹が減るのか」→「生命活動をしているから」→「じゃあ何故生きているのか」といった感じです。

他の問いでもこんな感じで疑問をどんどん繋げていけば、最終的にはほとんどの場合に上記の疑問へと集約されていくように思えます。

僕が今疑問に感じていることは、それ以上の問いはあるのかということです。

ほとんどの人間が結局のところこの同じ問いに悩み、そして答えが出ぬまま死んでいったり、自殺していったりしています。そしてこの答えを出した人が未だに人間の中には存在していないようにも思えます。

結局思い悩んで行き当たる点はそこであって、それ以上の問いに悩んで死んだなんて話は僕の狭い世界じゃ聞いたことがないわけです。

果たしてその問いはあるのかどうかが、すごく気になります。

とある友人に聞いたところ、「ビックバンは何故起こったのか。」なんて答えが返ってきたりしましたが、これは僕の中では「自分は何」という問いに集約されると思っています。

なぜなら、自分は何という問いに完全に答えるためには、この世の全てを知っている必要があって、それを前提とするならビックバンすら理解しているはずだからです。

そんな意味においては、僕が求める問いというものは、
「神は何を疑問に思うのか。」「全知全能の存在に疑問はあるのか。」
といったものになるのかもしれません。

これらの問いは矛盾しているために存在しないように思えますが、それがないのだとするならば、僕らの問いは結局最初にあげたものしか存在しないことになってしまい、それだと長い人生なのになんともつまらいなと。

多分死ねば別の問いが見つけられる気がするんだけど、生きてる間に生という本来的な問い以外を見つけることは難しいのかなあ。

僕らの中で一番中心にあって大切なものが生であるから、それが一番大きな問いになっているんだろうけど、それ以外も何かあればいいなと思うのです。
[PR]
by pyababy | 2008-03-22 23:57 | 日常
<< 知らない世界と知らない本。 採点競技 >>