日々垂れ流し。
by pyababy
カテゴリ
全体
日常

転職
未分類
以前の記事
2016年 01月
2015年 12月
2015年 04月
2014年 10月
2014年 04月
2013年 12月
2013年 04月
2012年 12月
2012年 01月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


知らない世界と知らない本。

多分同年代の人間と比べれば、読書量は相当多いとは思う。
僕より読んでいる人間ってのは、自分の周りではほとんどいない。僕が過ごす大学という場所は、読書に重きを置く人間は少なくて、それよりももっと直接的で楽しめるものに熱を注いでいる人が多いように感じる。教室を見渡してみても、授業の空き時間に本を読んでいる人間なんてのは、500人規模の教室ですら二三人。他は他人と話しているか、携帯を触っているか、ぼーっとしているか。それらの行為も僕は好きだが、本を読む行為をあまりしない人がこれだけ多いという場所が不思議に思える。

中学高校では、何故だか本を読む人が多かった。
これは学校の方針もあるんだけど、休み時間であったり、授業中であったり、案外色んな人が色んな本を読んでた。流行りの本からカニヴァリズムまで色々だったけど、本を読む行為は案外普通のことで、誰も気にとめてもいなかった。何の本が面白いだとかそんな感じで、クラスの中で本が廻ったりもしていた。

そんなことは大学ではほとんどなくなって、本について語り合える相手ってのはほとんどいなくなった。一応いたとしても身近な高校からの友人だったりで、新しい発見がないのも少し哀しい。僕がもう少し積極的に動けば新しい友人関係なんてものもできるのだろうけど、そんなわけにもいかなかったりする。

今日はそんな僕が中学時代から気になっていた本をようやく読んだ。
今更『五体不満足』を読むとか、自分でも何をしているんだと思ってしまった。

中学生の時の僕から今の僕まで変わらないことは、流行りものが嫌いということ。
流行っているという事実だけで毛嫌いして、手に取ることを拒んでしまう。流行っていることの何が悪いわけでもないが、他人が既に行っていることを自分が行う理由がわからなかった。自分が出来なくても、誰かが出来るのだから自分はしなくてもいいんじゃないか。そんな思想が当時からあって、この本を手に取ることも拒んでいた。

当時と比べれば僕も丸くなったもので、その辺の変な意地は最近になってようやく薄れてきた。楽しいものは素直に楽しめばいいし、流行っててもつまらなければ興味を示す必要はない。たったそれだけのことに、なかなか気付けずに損をしてきたと思う。

この本にしても、なんとなく読むことを拒んでいただけだった。
ブックオフで100円であったから、なんとなく手に取っただけ。

そういえば読んでない。
有名な本なのに読んでないものってのはいくらでもある。

それぞれが全て面白いというわけではないけど、有名になるには有名になるだけの理由があるということは、ようやく理解できた。古典文学なんてものを読むと特にそれを感じる。何故それらが今まで残っているのか。そこが中高時代は理解できなかったけれども、今になれば厭でも解る。あれは誰がどう読んでも名作だからだ。

彼の本が果たしてそこまでの価値があるかは僕には解らない。
確かに面白かったけれど、彼の五体が無いということ以外を除けば、ただの自叙伝だ。僕が書いたとしても、ここに書いてあることは大学卒業くらいまでのことだから、きっと同じようなことは書けるはずである。僕じゃなくても誰でもだ。

だけどこの本が売れてしまった。
何故売れたかってのはすごく簡単で、珍しかったからだろう。彼の文章自体には魅力があるし、多分健常者であったとしてもある程度は売れたと思う。だけれども、五体がないことがそれを加速させたことは誰も否定できないと思う。彼の本を否定する気はサラサラないけど、そんな社会が少し厭だなと思ったのが、僕がこの本を8年越しくらいに読んで思ったことである。

自分は特別じゃないということを主張したかったと彼は書いているのに、この本が売れてしまったことで作り上げられた彼は、特別な存在であって、障害者の救世主であって、健常者からみたら頑張っている普通ではない障害者になってしまっていた。

僕が買った完全版には、本が売れたあとの苦悩が綴られていた。
どちらかといえばこっちの方が本編より面白かった。五体不満足の彼でなくて、普通の20そこそこの男の本音が語られていたからである。いわばぼやきに近いその感情が、より人間らしさを強め、そこに何かしらの魅力を感じる。

ここに書かれていることが、彼の全てではない。
だけれどもそれを読むことでしか彼を知ることが出来ない僕らは、彼に対してありもしない幻想を作ってしまう。それは文章でしか繋がることのできない関係なのだからしょうがないことなのだけれども、やめていかないといけないことなのだと思う。

このBlogを読んでくれている人間の中でも、多分リアルの僕を知らない人ってのがほとんどだと思う。こうやって色々書いているけれども、実際はただの大学生だし何も特別な事なんて無い。ここに書いているレベルだとそんな乙武さんみたいな想像をされることはないけど、そんな意味での期待ってのはあまり良くないなと思う。

僕は一時期、とある人間に対してそんな期待を持っていたことがあった。
その人は僕にとっての憧れであって、目指したい存在だった。だけど僕の中で彼のイメージがどんどん膨らんでいって、見るべきは彼本人であるはずなのに、イメージの中の彼が本当の彼を遙かに超えてしまっていた。そこに気付きながらも、イメージを信じて本当のものを見たくなかった自分がいてて、結局自分の勝手な感情で彼に失望してしまい、ほぼ一方的に彼の存在を認めたくなくなった。

ある意味この信仰に近い感情ってのは、邪魔だと思う。
人の気持ちを想像することと、その人を作り上げることは違う。

近いようで違うこの感情を改めて感じさせられた、そんな本だった。
[PR]
by pyababy | 2008-03-23 21:29 | 日常
<< 自分が中心の話。 何が僕らを生かすのか。 >>