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鼻が折れる
自分のできることの小ささに嫌気がさす。
本気で考えると、すごく小さなことしか論文を書くことができない。 小さな専門性を馬鹿にしてた自分に腹が立つ。 論理的思考というものにも疑問が尽きない。 あくまで思考の一つであって、それを所謂世界での地理的時間的限定を付けた上での最高峰の考え方としている理由がよくわからない。論理的思考能力ってのは大切だと思うけど、間違いなくそれがすべてではないから。 それが通じる人間というのは限られているといえるのに、それを極めていくことが何を生み出していくのかが僕にはやっぱりわからない。 伝わらない人間の方が多いのに、伝わらない思考で研究してる。 それでいて伝わらない研究発表をして、伝わらない人間の中で満足していく。 本当に変えなければいけない人たちには何も伝わらなくて、それでいいのかなって。 僕らの思考の中では完全に放置されている人間を、たぶん僕らは相手にしていかなければならない。そうであるならば、彼らの思考にも伝わる形で学ぶべきではないのだろうかと思ったりもする。僕がら行うことなんてただのおごりで自己満足でしかないことは理解していても、それでいいのだろうかという疑問はなくならない。 数学でもなんでも、今の地理的時間的条件の元のみでしか機能しない。 それなのに絶対だと信じてしまう感覚を早く抜き去りたい。 だけど僕らの世界は彼らを置き去りにしたまま進んでいく。
by pyababy
| 2008-04-26 00:57
| 日常
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