日々垂れ流し。
by pyababy
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言葉に出る心

すごく久しぶりに書く気がします。
読んでいる方がいたのならば、お久しぶりです。

色々あって、家で落ち着いて何かを書く時間を作ることができず、長らくの間書くことができませんでした。毎日更新というものは、なかなか難しいのだと感じました。

半年にわたって行ってきたことがようやく終わり、ひとまず落ち着く日々が得られると思ったら、そうでもありませんでした。いろいろな問題が浮上して、結局今の方が精神的にやみそうな感じで過ごしています。そういえば就活もしないといけなかったりで、なかなか大変なようです。

久々なのですが、愚痴になります。




人が何かの評価をくだすというのは、その人の主観での判断であり、一概にそれが正しいとはいえません。その人間が見えなかった場所では何が行われていたかはわかりませんし、見えるところが正しいとは限りません。

ただ僕は、自分の目で見たこと、聞いたこと、感じたこと、というのは正しいものだと信じて生きています。それは変えるつもりはありません。ただ逆に、他人がみたもの、きいたものというのは信じないことにしています。よほど何かがあった場合でない限り、疑いの目を挟みながらその物事を見ることにしています。人を信じていないのではなく、自分以外は本当の意味で信じられないからです。

先日、僕と、僕の仲間である人間に、ある評価が下されました。
僕としては、その評価を下されることは不当なものであると感じています。
本来なら、そのような評価をされるべきではないからです。
この点に関しては、自分には落ち度も何もないと信じています。

評価を下した人間が、僕らの何を知っていたのかは知りません。
ただ、その評価を下すということは、少なくとも何か原因があったのだとは思います。

でも問題はそこじゃなくて、たとえ一時の感情の迷いでその評価を下したのだとしても、約半年の間そんな風に思われていたかもしれないという事実こそが、一番の問題なのです。自分が一度も思わなかったことというのは、台詞を読むのではない限り言葉にすらでません。そんな言葉が出たと言うこと自体が、僕らに対する侮辱であり、たとえ謝罪があったところで許すことができないものなのです。

すごく抽象的な話になってしまっていますが、しょうがないのです。

僕はその評価を下されたことに大して、珍しく怒りを覚えています。
そしてそれを下した人間との関わりを、本気で切りたいと考えています。

たったそれだけでその人との関係を切るのは問題があると思いますが、僕にも譲れないラインというものがあります。少なくとも自分が嫌いな行動をとる自分を許せる自分ではありたくないのです。許せないことをなあなあにして許してしまい、今後もその人間と笑って過ごすという選択は、僕の生き方から反するものであり、絶対にできないものなのです。

多分僕はこの選択で、いろいろなものを失うと思います。
でもそれよりも大事なものが自分の中ではあって、そこは守りたいのです。

論理や理性でなくて、義というものを大事にしたい。
ある先輩にも言われたように、この考え方は社会ではいきにくいものだと思っています。
ですが、そこを曲げてしまっては、何のために生きてきたのかすらわからなくなります。

もう自分でもよくわかりませんが、許せないのです。
たとえ謝られたとしても、許せないのです。
そしてその人と一緒にいる自分は、許せないのです。
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by pyababy | 2008-11-09 01:47 | 日常
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