日々垂れ流し。
by pyababy
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答えより大切な理由。

年末だろうがなんだろうが、学生はNEETなので大して実感ありません。
休みでも学校あってもやることは大して変わらないので、何も変わらない日々です。
そんな僕もあと4年くらいしたら、仕事納めヒャホーイとか言うようになるんでしょうか。

なんというか僕の悩みは解決もせず、特に誰かに相談するわけじゃないんですが、どういうことか人の悩みだけは昔から聞かされます。悩みというか愚痴だろうがなんだろうが掃き溜めにされてます。掃き溜めにされて捨てられそうで怖いんですが、彼らは吐くだけ吐いて捨てないので、僕の心には誰にも喋れないような秘密が地味に溜まってて、素晴らしくイライラとした気持ちにさせてくれます。将来案外カウンセラーとか向いてるのかもしれないとか、勝手に思ってしまうくらいきいてます。でも正直仕事でもこんなことを聞かされ続けたら、精神的におかしくなるのは目に見えてるわけで、やろうとは思いません。そんなどうでもいい話はホントどうでもいいので本題入ります。

物事に悩む時って、答えは既に出ている場合が多いなって、人の悩み聞いてて思います。
答えは出てるんだけど、答えを導き出す理由のため、あるいは答えを出した後に自分に起こるであろう事に対して、悩んでいる場合が、僕の経験上多いです。純粋にその物事のYes or Noを悩んでいる人は、ほとんど見たことがありません。

何に対しても理由をつけたいのが人間なのかなと思います。
動物なんかは、食べたいから食べる、寝たいから寝る、食いたいから殺す、なんて風に一応までに行動に対する理由はあっても、それ以外の理由はありません。それとは逆に人間の場合は、お腹が空いたけどものを食べたら太るかもしれないけど食べる、であったり、今寝たら見たいテレビが見れないけど今寝ないと明日起きれないから寝る、であったり、単純な理由というものがないように思えます。

それのせいか、理由が複雑になるにつれ、悩みが大きくなるように思います。
その反対に、理由以外の部分はあまりにもはっきりしていることが多いように思えます。先ほどの例で言えば、食べるか食べないかでいえば食べるという選択自体は自分の中ではほぼ確定してるんですが、今食べたら太るかもしれないなんていう食べることについての理由付けを自分の中でしたいがために悩んでいるのだと思います。

実際のところ、答えを出すことよりも、それにいたる理由を出すことの方が、
自分の中では大切なことなのかもしれませんね。

そんな自分を正当化するためにひたすら悩むような世の中も
なんとも人間らしくてしょうもなくて、いいなって思います。
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by pyababy | 2006-12-30 02:01 | 日常

ネタにマジレス

このBlogを長期に渡って読んでくれている人に、
僕がリア♀可愛いなんていったとしても、ネタと捉えてくれるだろう。

だけど、この一文だけを何の前情報もなく読んだ場合は、
ネタなのか本気なのかの区別はつけられないといっても過言じゃない。

NETの世界はやはり、そのWeb上にあるものがその人の全てになってしまうから、
どこまでがネタで、どこまでが本気なのかの見極めが本当に難しい。
ひろゆきじゃないけど「嘘を嘘と見抜けない人には(掲示板を使うのは)難しい」
なんてNETしてて本気で思う。

その発言も、既に6年前のものみたいだけど、未だに真実だなーって思う。

最近なんとなく、昔に比べて釣られる人とか、釣られてマジ切れする人とかが増えたなーって思う。ある意味昔からNETしてる人ってコンピューターの知識があったり、NETの知識があったりするいわば良い意味でも悪い意味でも有識者層だったと思う。最近になってはじめた人は、その敷居が低くなってるから相対的に見ればあたまわるいこちゃんが多いことは間違いない。あとは、昔はダイヤルQ2なんてものとかがあったりしたけど、今は普通にNETする分にはウィルスとかも対策ソフトがちゃんと機能してたりするから危険はほとんどないから、そんな面についての知識が薄くなってる感はある。ある意味で昔の人は、NET上のものを疑うことから入ってたんだように僕は思う。


リアルの世界でもあたりまえだけどこれはあるよね。

僕はどちらかというと、ネタなのか本気なのかがわからないような、ギリギリのラインでの発言が好きだから、友達の中にははネタなのか本気なのかわかってくれないような人もたまにいる。僕が言うことなんて、騙すつもりがあるわけでもないし、ネタでも本気でも大して関係ないようなこと(例えば僕がSM大好きみたいな感じ)だから、嘘でもホントでも実際のところ大して変わらない。世の中こんな人ばかりなら問題ないんだけど、実際そうじゃないのが困るところ。僕がもし本気で騙すつもりなら、現時点で相当騙し取れてそうな人が周りにうじゃうじゃいるw

NETの場合は顔真っ赤ですむんだけど、リアルの場合はそれだけじゃ済まないから
NET以上に警戒して過ごさないと怖いんだけど、
全てを疑ってかかる生活というのも、何かしら寂しいものがある。
でもそうしないと、ほんとどうにかなっちゃいそうな日本だから怖い。


NET上だから許されてることも、リアルだと許されないことも多いから
そこもすごく困るところ。

リアルとNETの人格違うのは、その辺も大きいかなーなんて思う。
NET上の礼儀とリアルの礼儀は明らかに違うし、やっぱそこはちゃんとしたいなーなんて思うのがリアルの僕。さすがにリアルは初対面の人間に向かってうはwっをkwwwwなんていえないし、NET上はタメ口でもリアルは年上だったりしたらやっぱり敬語だし、年下だったとしても最低丁寧語は使いたい。ある程度打ち解けてからは何でもいいと思うけど、そこまではやっぱり最低限のものはあるよなーなんて思う。

関係ないけどOdindoorオフ多分行くから誰か関西の子一緒に行こう。
ソロで東京まで行ったらオレ可愛いから襲われるかも;
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by pyababy | 2006-12-29 03:28 | 日常

僕が思う18の姿。

僕はまだ18歳なんだなって、思うときもあれば、もう18歳なんだって思うときもある。

周りの友達とかみてても、将来について焦ってるやつなんかはほとんど皆無。
そんなんでいいんかな、なんて内心思ってても人のことは放置してる自分。そんなやつらと比べるからだけど、精神的には大人びてるなんて言われることもある。
だけど視野を広げてみると、僕より年下の16歳の浅田真央ちゃんなんて、あの歳ですでに世界と戦って、世界一を取ろうとしている。他にも僕と同じ歳のアイドルなんていくらでもいるし、同じ歳で起業している人たちもいる。そんな人たちと比べたら、僕なんてまだまだガキだし、一人じゃ何もできないおこちゃまであることには変わりない。

18っていえば、ほんとに微妙な歳だなって。
17は青春真っ只中って感じだけど、18は大人の一歩手前だけど大人と社会的に認められているわけでもない。結婚はできるっちゃできるけど。僕の中で18ってもっと大人なのかなーなんて思ってたけど、実際は全然ガキだよなーってのが実感。28になったら、38になったらどうなんだろうって思うけど、今思ってることと同じようなことをそのときも感じてそうな気がする。比べる相手によるけど、自分より上のやつなんて腐るほどいるしなー。そんなやつらと比べたら、いつまでたってもガキって思っちゃうんだろうなーと。


一応までに将来のことなんて考えてるけど、そんな決め付けちゃうのは厭だなーなんて思ってる。一応3つくらいまでには大幅に絞ってるけど、それは絞るうちにすら入らないような絞り方だったりもする。だけど、どの道を選んでも、その道に進めるような力はつけておきたいってのが今の現状。

一応まだ18なんだけど、もう18だったりするわけで、
そんなことについての悩みってのは尽きないわー。

なんとなく思うんだけど、出来る限り小さいことで悩んどきたいなって。
些細なことでも悩んで、自分なりの答えを出して、そんなことを繰り返してたら大きな悩みも自然と解決できるようになるのかなーなんて思う。大きな悩みって小さい悩みの積み重ねで起こるものだし、小さいうちに解決しときたいなーって。

ほんと、俺の考えてることも思ってることも悩んでることも人間性も全て、ちっせー。
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by pyababy | 2006-12-28 02:09 | 日常

世の中の当たり前と、そうでないこと。

僕が日常生活をしていてたまに驚くことがある。
あたりまえのことをしているはずなのに、周りがそのことを褒めている時だ。

例えば物を落とした人がいたときに、誰かがその人に物を落としたことを伝える。
これは僕にとっては普通の行動なんだけど、それすら珍しいのか知らないが、褒めたりちゃかしたりするやつらがいる。僕にとってはというか、一般常識がある人たちにとっては普通の行動だと思うのだが、彼らにとってはいかにも普通の行動じゃないような振る舞いを見せる。褒めること自体は問題ないと思うけど、あたかもそのことが普通じゃないように振る舞い、あたりまえのことなのに誰もそのことに気がついてない情況に対し、僕は驚きを隠せない。

こんなあたりまえのことすらあたりまえにできないような世の中って、
大丈夫なのかなと本気で心配になる。

でもよくよく考えてみると、政治とか教育改革にしてもそうだなと。
国会で自分の意見を言うことは議員の権利だし、あたりまえのことのはずなのに、それすら普通に認めようとしない情況、党の意見のみを重視する現状、寝ている議員を誰も起こそうとしない小学生の集会以下の国会。国のTOPがこの程度なんだから、国の末端である一市民の品性が落ちていようが、大したことないかって思えてしまう。


話はちょっとずれるんだけど、老人に席を譲るのって当たり前のことなのかな?

僕は正直なところ、あまり老人といわれる人には席は譲らない。
もちろん見るからに立つことも苦しそうなお爺さんやお婆さんには譲るが、それ以外の年齢的には老人であろう人には譲ることはほぼない。元気そうな老人は、普通の人と区別する理由も特にないからだ。

例えば、登山帰りかなんかしらないけど、リュックを背負って集団でいる老人たち。
この場合老人に席を譲る必要があるかといえば、僕の中では明らかにNoだ。老人だろうがなんだろうが、遊ぶ元気があるなら若者と変わらない。むしろ逆に、病気なり何なりで疲れていそうな人のほうが、、椅子に座ったりするべきだと思う。場合によっては老人より、見た目には見えないけど実はすごい重い病気で立ってられないような若者の方が、座るべき存在ではある。

反感買うかもしれないが、「老人だから席を譲れ」などといった態度を取る自称老人がいることも僕は気に食わない。あくまで譲るか譲らないかは、本人の誠意の問題なのに、それを強要しようとする老人、そしてそれを強要しようとする社会も気に入らない。

だから僕は、「自分より立っているのがしんどそうな人がいるときは、席を譲るように心がけよう」といった具合の感じで電車なんかに書いて欲しいなって思う。あくまで、本人の誠意の問題だから、強制するのではなく、勧める程度にとどめるべき。

老人は大切にして当たり前かもしれないけど、大切にされて当たり前なんてことはありえない。これはもちろん老人だけじゃなくて、全ての人にいえること。老人だけを大切にする理由なんてないし、大切にされることが当たり前なんていう理由は誰にもない。

ここで最初に戻るのだが、当たり前のことすらできていない現状ってどうなんだろうね。
人を大切にすることすら当たり前じゃない社会。
そして人を大切にすることを強制する社会。
そこから派生する、人から大切にされることが当たり前と勘違いしてしまう社会。

日本の変わっちゃったところって、ここだと思うんだよね。

安倍さんって美しい国目指してるんだっけ?
とりあえず国会の美化から始めたら?
国のTOPがあれじゃ、誰もついてこないってマジで。

政策とかも結局は国民のためなんて考えてない。
一部の国民のためではあるかもしれないけど。
ボランティア強制だって?笑わせんな。
教育改革?フリーター対策?
他にもっと簡単にできることあるだろ。

当たり前のことをしようとしないで評価を求めてる彼らは、
当たり前のことを当たり前と感じていない国民には、
当たり前だけど受け入れられないね。
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by pyababy | 2006-12-27 02:02 | 日常

チラシの表

僕がBlogを書くときは、大抵情報ソースについては書かない。
他の人のBlogも読んでいる限り、ほとんどといっていいほどソースについてのことは書かれていない。僕の場合はめんどくさいということもあるが、そこまでする価値をこのBlogに見出してないからだ。ある程度は正確なものを書きたいとは思っているが、あくまで自分の中での想いの吐き出し場であって、堅苦しいものにはしたくないというのもある。そして後に触れるがこのBlogの社会的な影響力は薄いと確信してるからだ。

だけど、レポートや論文なんかを書くときは、情報ソースを明記することは必須である。
レポートなどの場合は、どこから情報を取り出してきたのか、その情報が正確であるのかを示すために必要となってくるので、ソースを明記することが必須になっている。論文などは一生残るものであるし、他人に見せることで価値を生み出すという性質も関係している。

だからといって、Blogに正確でない情報を載せていいのかってことを僕は思う。
正直なところ、何を書こうが本人の自由だし、それを信じて損害なりを被った人がいたとしたら、それを信じた人が悪いっていうことにして問題ないと思う。だけど、ある程度は正確な情報を書くべき義務があるんじゃないかなってBlogを書いてて思う。

僕が多少難しいことをBlogで書こうとするときは、一応までに情報は調べる。
NETが発達した現在だと、5分もあれば事の概要をしることは容易だし、完璧に正確とはいえなくとも、一応信頼の置ける情報というものにありつくことも容易であるからだ。まぁ僕の場合は読み手を意識してというよりは、自分の中での情報の整理という面もあるために一応までには調べることにしているってのもあるんだけど。

しかしNETは無法地帯ってこともあるし、多少なりとも何をかいても許されるという現状はある。他人のプライバシーに関することを書いていたからといって、それだけじゃまず罰せられない。個人のBlogなんてものは、社会的な影響力が小さいからだ。たかだか50人程度がみにきているであろう程度の大抵のBlogにおいては、何を書こうが実生活には特に問題はない。

だけど、アクセス数が一般のものと比べて非常に多いBlogやなんかで、正確でない情報や他人を中傷することなんかを普通に載せている現状ってどうなんだろうなって思ってしまう。有名かそうじゃないかっていう線引きは難しいんだけど。

自分のメモ書きが、NETに流れる中でメモ書き以上の存在になってしまう。
だけど、相変わらず自分の中ではチラシの裏に過ぎない。本来的には同じもののはずなんだけど、結果的には有名なBlogなりになるにつれ、生み出す効果は変わってくる。

自分の中ではチラシの裏に書いていたつもりが、気がついたら自分がチラシ自体を書いていたってことに、自分ですら気がつかないうちになってるかもしれないこの世界はほんとに怖い。正しいことならいいんだけど、それがもし間違っていたり、知らず知らずのうちに他人を中傷してたりしたなんて思ったら、ほんと無責任なことはかけないなーって。

結局のところ無責任なことを書いて困るのは自分なんだよねw
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by pyababy | 2006-12-25 23:04 | 日常

意志

ソロで過ごすクリスマスイブは、委員会みてM1見て終わりました。
mixiにも書いたんですが、今年のM1はチュートリアルが飛びぬけててM1見てた中で初めて自分の中で納得した結果でした。

話は変わるんですが、世間一般に意志が弱い人が多いなって思うのが最近です。
僕の友達の女の子なんかは、大概ダイエットしたいとか、痩せたいとかほざいてるんですが、そんなやつらに限ってひたすらお菓子食ってたり、動くの嫌いとかいってエレベーター乗ってたり、何がしたいのかなーってのが多いです。お金がたまらないとかいいつつ、ひたすら金垂れ流してるやつとか、良い成績取りたいとかいいながら授業中喋り捲ってたり寝てたりするやつ、時間がないといいながらしょーもないことばっかやってるやつ、ほんと色々です。

僕はどちらかというと、自分の言葉に矛盾する行動は嫌いなので、そんな人たちを見ているのがあんまり好きじゃありません。自分がどうかって言われたら、他人からみた自分の評価はわかりませんが、自分の中では言ったことは守ってるつもりです。その代わりほとんどそんな宣言なりなんなりはしません。自分の出来ることだけを言って、そして実行するというのが僕の行動パターンになりつつあります。

有名な人(特にスポーツ関係)なんかをみてて思うのは、自分にできることの範囲をきちんと理解している人が多いなってことです。自分の出来ないことはちゃんとできないっていいつつも、できることは自分の最大限の力を使っているように思います。中途半端なことを言わないから、発言にも説得力が出てるんじゃないかなって思います。

最低限でも、自分の言ったことばくらいは守れるような人間になりたいものです。
自分のことすらできない人間に、他人のことを守れるのかなって。
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by pyababy | 2006-12-25 01:06 | 日常

今年というひととき。

世間じゃもう年末で、あと一週間もすれば新年が来るみたいです。
今年という2006年はもうすぐ終わっちゃうみたいなんだけど、僕の生きた今年というものを思い返してみても、目立ったものは特にない。今年くらい何もなかった年も珍しいってくらい何もなかったような気がする。

なんとなく大学はいって、なんとなく過ごして、って感じか。
一番やっちゃいけないような過ごし方を、していたような気がしなくもない。
だけどそんな何もない日々でも、まぁよかったなーって思える。

短いスパンでみれば目標なりなんなりは達成できてた事は多いし。
何より多少なりとも向かう方向性だけでも定めることができたのは良かったと思う。

後悔って思えることも特にないなー。
回り道はしてたと思うけど、それがあってからの今ってのが明らかにわかる。色々遠回りもしたけど、その道を通ることでしか得ることができなかったものってあるし、近道だけを目指してたら見落としてしまうような物事も見ることができた今年の自分には、満足したい。いろんな人に迷惑かけたりしたけど、僕なりにそれに対して償いみたいなものはできたかなーなんて思う。

長期のスパンで見ると、いいことも特にないけど、悪いことってのもないわけで、それだけで十分かなーなんて。細かいこと言い出したら厭なことでもなんでもいっぱいだけど、ほんと僕が思ってることなんてすっげー小さくて、なんでこんなことキにしてるんだろうなんて思っちゃうくらいのことだし、こんなの悩みのうちに入らんって自分ですら思うようなことばかり。

そんな面から見ると、自分と向き合う時間が長かった一年だったかもと思った。
そのちっせー悩みに面と向かって悩んで、答えが出ない問いを自分の中で繰り返して、結局のところ悩む必要なんてなくて、自分の心が決めたことを最後にはやってるだけで。今までの人生もそんな突っ走ってきたわけじゃないけど、部活に必死だったりでそれなりにやることはあったりした。だけど今年はそんなこともなくて、あえて自分で自分と向き合う時間を作ってたような気もする。ほんと無駄に思えることを繰り返してきて、でもそれが積み重なって、無駄だったはずのことが有意義なものに変わってる。

無駄かもしれないこの一瞬一瞬が、ほんとに大切なものに変わる日が、
いつかくるのかもしれないなーって思うクリスマスイブ。
もちろんソロだぜ?


以下チラシの裏。
今年の自分の勝手な目標と達成度。
・大学でぼけーっとする→達成
・大学で適当に友達を作る→数は微妙だけど達成
・免許取得→来年の誕生日過ぎたら試験場行く予定(教習所は終わり)
・適当にバイト→適当に達成
・見た目一般人に→パソオタって言っても友達信じてくれない
・本適当に読む→学者本含めていいなら結構読んだ
・やりたいこととか→適当までにみつかった
・自分らしく→マイペース過ぎた
・学校ちゃんと行く→サボり0
・いらいらしない→たまにいらいらするくらいになった
・書ける日はBlogかく→だいたいかけた(内容はry)

正直
・ベンチ目標90kg(去年の競泳現役中は80kgだった)→92.5kg
これが一番嬉しかった。
体重の150%達成であります。
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by pyababy | 2006-12-24 01:40 | 日常

つい一年くらい前までは、僕の中の涙は枯れちゃったのかななんて思ってた。
とあるきっかけで、僕の中の涙ってものは戻ってきたんだけど。

それからは三ヶ月に一回くらい、無性に泣きたい時が来る。
嬉し泣きに見せかけて泣いてみたり、大事な人の前で泣いてみたり、映画を見て泣いてみたり、本を読んだり2chのレス読んで泣いてみたり。自分でもよくわかんないんだけど、凄く泣きたくなって、泣いてて、泣き止んだら何事もなかったように振舞える。

ちっちゃかったころ(とはいっても幼稚園くらいだけど)はとても泣き虫だったらしい。
正直僕はほとんど覚えてないんだけど、幼稚園の時の知り合いとかからはよくそんなことを言われたから、多分そうだったんだろう。早生まれってのもあったから、ある程度はしょうがないんだろうけどね。そんなことを言われてたからか、なんとなく自分の中で泣くことがタブーになってたんだよね。泣き虫ってからかわれるのが厭だったっていうガキならではの思想があったんだ。

だからかわからないけど、中学高校って泣いた記憶はほとんどない。
人前で泣いたのは0だと思う。覚えてる範囲だと、「セブンイヤーズ イン チベット」っていう映画を観て泣いた記憶がある。あの映画だけはガチで自然と泣けた。正直一般受けはしないような内容だけど。まぁその程度か。

例外的なそんな映画を除いては、所謂感動作品っていう映画や本とかドラマなんかをみても、涙腺が緩むことすらなかった。そんな僕なんだけど、先にも書いたように最近は泣くことができるようになれた。今日はMステ垂れ流しながら泣ける2ちゃんねるなんかを見てぼろぼろとしてしまってた。話逸れるけどこのゴルァの話だけはいつ読んでも泣ける。

今日ぼーっとそんなことをしてたら、ふとある言葉を思い出した。
僕が小三のときに担任だった先生が、言ってくれたことばだ。

「涙は定量 汗は無限

今のうちにたくさん泣きなさい。
大きくなって、泣くことがないように・・・。
でも、汗は、いつもかきなさい。
かいた分だけ大きくなれるから・・・。」

(鍵山秀三郎ってひとが高校の恩師から言われたことばみたい)

小三の時の僕はこの言葉を見て、ちっちゃいときに泣いてれば、もう泣くことはないんだ!昔いっぱい泣いてたみたいだからもう泣くことないね!みたいな感じで、泣くことはダメなことみたいな風にとらえていたのを覚えている。

今ならもちろんこのことばの意味はわかるんだけども。
歳を取ってからの涙は辛いから、若いうちに辛い涙は流しておけ。
つまり若いうちにいっぱい苦労をしとけ、年取ってからの苦労は辛いぞ。
だけど、努力はし続けた分だけ自分を成長させるんだって意味ってことは。

文面だけを見てその意味を理解しようとしていた当時よりは、
言葉の裏にある理由をわかろうとすることができるようになった僕は、
そんな意味でも、地味に成長してるのかなってふと思った。

話は少し変わるが、男の涙も、女の涙も、どちらもほとんどの場合綺麗とはいい難い。
だけども、綺麗な涙ってのもあるってことは最近になってようやく理解した。自分のためでなく、他人のために流す涙、そして例外的に、自分のために流す涙の中でも悔しくて、こらえて、それでも流れてしまった涙だ。

綺麗な涙というものをもっと早く解る事ができていれば、僕はもう少し感情豊かになれたのかもしれないなんて、泣くことを忘れていた過去の僕に対しおもう。
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by pyababy | 2006-12-23 01:12 | 日常

学歴と教養

結婚相手に学歴を求めるかどうかって話。

僕としてはあんまり気にはしないけど、教養なり一般常識などはもっといてほしいと思う。
むしろ礼儀とかそっちの方重視かな。

一般的に学歴を重視する理由は大きく二つ。
・高学歴の方が就職関係で有利。
・学歴の高い人は一般的に教養を備えている。

学歴の高い人が教養を備えているというのは当たり前といえば当たり前。
適当までの教養を得ることが学歴を得る条件だからね。
だけど人格がそれに伴っているかといえば話は別。
だから学歴至上主義ってのはあんまりよろしくないと思う。

でもやっぱり多少なりともその人の人間性を量れるのが学歴。
学歴だけで決め付けるのはダメだけど、その学歴になったのには人それぞれ理由がある。家庭の事情でそうならざるを得なかった人もいれば、ひたすらサボってたためにそうなった人もいる。反対にたまたま高学歴になった人もいるだろうし、裏金ryとかもないとは言えない。その理由の部分をちゃんと見ていけるのなら、学歴の議論は有意義なものになるんじゃないかと僕は思う。

表層だけを見るのでなく、中身を見ていく。
学歴の話はそんなことを伝えたいのかなーなんて勝手に納得。


今日は代理のところ。
ここ終わると総則はほぼ終わりだからさくっととか思ってたけど案外ry。
しっかりやって一度理解したことは、忘れにくいし、ちょっとのきっかけで思い出せるからしっかりとやっていきたい。誰かの言葉ぱくるわけちゃうけど、戦術ごとの成功を組み合わせていって、戦略的な勝利をとれたらいいなーと。
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by pyababy | 2006-12-22 02:08 | 日常

早寝

ああまた9時くらいに寝てしまった。
で、メールの音で気がついたのが今さっき。
Web巡回してこれ書いてまた寝て朝に勉強とかしようふぁっく。

死刑関係書こうと思ってたんだけど、眠いから適当になるのもあれだなーって思ったけど寝れないしやっぱ書くか。


日本は現状死刑制度を用いてるわけなんだけど、相変わらずその適用や存在自体に議論は尽きない。その理由は簡単で、命だけはお金じ換えられないから。命以外のものならば、国家賠償という形で、お金というものにはなるが一応解決はできる。だけど命だけは何にも換えられないものであるという認識が、こんな議論を呼び起こす一因になってる。そんな倫理的な話になってしまうために、この議論が終わりを迎えることはまずありえない。

死刑の効果としては、犯罪予防効果、再犯防止などがあげられる。
犯罪予防効果は、言ってみたら死刑があるから犯罪を犯さないでおこうという心理が働くというもの。これの効果の有無自体は測定しようがないから、本当にあるのかどうかはわからない。だが、一般的に考えて、死刑があることが犯罪を抑制しているといわれている。
再犯防止は、一度犯罪を犯した人をこの世から消すことで、更生不可能な人が今後起こすであろう犯罪を防止するというもの。あとは逆恨みによる犯人に対しての被害者からの社会的制裁以外の個別的制裁を防ぎ、犯罪の数を減らすという部分もこっちにあたる。こちらも大して根拠もないし、あくまで想像の範囲でしかないが、一般的にそうであろうとしている。
前者は一般予防説、後者は特別予防説なんて名前がつけられている。

死刑制度に賛成する人は、これらの予防説を信じ、犯罪の応報である死刑をおこうなうことで、個人によるあだ討ちを防ぐなどといったことを根拠に賛成する。反対する人は、冤罪の可能性や国家による殺人じゃないか、なんてことで反対する。

現状の日本の刑法だと、死刑以上の刑罰は存在しない。
死刑以上のものを作ろうとすると、大抵が憲法が禁止する残虐な刑罰に当たるからそのような刑罰を作ることができないということもある。犯罪者に人権なしってことで奴隷として売り飛ばしたりするなんてことは、現状じゃ不可能になる。憲法の規定を重視する限りは、死刑がやはり最高ということになる。死刑は残虐な刑罰に当たるか、なんてことも言われているが、現状の絞首刑自体は残虐な刑罰に当たらないとするのが一般的である。憲法としては31条などで死刑自体を認めてはいるから死刑の存在自体は予定していたとは言えるので、死刑制度自体が違憲であるといったことはあまり論ぜられない。

死刑が仮になくなったとした場合、終身刑といったものが代わりとして存在すべきという考え方がある。一般に無期懲役だとしても、20年なりなんなりで仮出獄が認められたりするため、重大な犯罪を犯した犯罪者には無期懲役とは別の終身刑という形が望ましいとされる。死ぬまで塀の中で過ごすという点で、実質的に死刑と同じ効果を生むからである。

現状の日本で終身刑を導入できるかといえば、議論が必要になる。
収容する場所がないという点、税金問題など色々である。

終身刑が死刑と実質的に違うところは、死ぬまでは生きているという点である。
死刑の場合、冤罪の可能性があったとしても、刑が執行されれば本人は死んでしまうが、終身刑の場合は冤罪が立証されれば、出所することも可能という点が一番の違いとされる。あとは被害者感情で、犯罪者には生きていて欲しくないなどといった点が挙げられる。

僕はどちらかというと、死刑はこのまま残すべきだと思ってる。
理由としては死刑以上の刑罰はありえないし、死刑の予防効果はある程度働いていると思うから。そして、刑罰の本来の目的である、「目には目を、歯に歯を。」といったことを達成するには、死刑以外じゃ不可能だからだ。

更生の可能性などを絶ってしまう死刑は多少の問題はあるかもしれないが、刑罰の本来の目的と効果を考えると、死刑廃止の理由がやはり見当たらない。誰かを殺した相手が、ただ生きているだけで罪を償えるということは、何かおかしいと僕は思ってしまう。

そもそも僕は懲役というものにすら疑問を感じている。
そいつらを拘束して社会が得るものはないとは言えないが、正直普通の生活と大差ない場所で生きれるため、あまり効果がないような気がしなくもない。犯罪者の人権を守るという観点からすれば当たり前のことなんだけど、ホームレスなんかより情況が良い生活を保障されている犯罪者ってのはいったい何なのかなって思ってしまう。

唯一つ僕が気にかかることは、制度としての死刑であるけれど、死刑自体は人が行うという点である。国家公務員が死刑の執行を行うが、彼らが精神的に厳しいというのは容易に想像できる。死刑といえども、人を一人死なせるということにおいては殺人と大差がないからだ。だけども、国という形で日本が存在している以上は、誰かが行わなければならないことは明白である。どっかの法務大臣みたいに自分が死刑をしたくないからって死刑執行命令書への署名を拒むなんて行為は、国として一番タブーだと僕は思う。そんな個人の意思を通していいのなら、国の存在の価値がなくなるからだ。国が変わりに犯罪者を裁くという点で、国家秩序の安定を図っているのに、そのTOPがそれを拒むなんてもっと責められていいはずなんだがな。

結局のところ、罪を償うような人は犯罪にほとんど走らないだろうし、そうでない人が犯罪に走ってしまうってところが問題になると思う。こんな空論考えてる間に、犯罪の起こりにくい社会を作ることが一番大切なんかなーともおもう。
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by pyababy | 2006-12-21 03:19 | 日常