日々垂れ流し。
by pyababy
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絵日記

字が多いと言われたので絵日記にしようと思ったのですが、絵心がなさ過ぎるのと絵をうpするのがめんどくさいので文字で書きます。

字が多いのは仕様というか、無駄なことを書いてるから多いのです。
無駄を省けば大体2行半で終わります。
むしろ10文字以内で終わります。

だけどそれがなぜこんな毎回500-1000文字とかになるのかといえば、無理矢理引き延ばしているからと、本当に伝えたいこと、書きたいことはそんな10文字程度じゃ収まらないといえるからです。

要約というものはある意味では的を射ているのですが、とらえ方によっては真逆にも成りえるし、実際上正しく伝わるかと言えば相手の読解力がものを言うために何ともいえないと勝手ながら思います。

伝わらないのであれば相手に伝わる程度の文章で書くべきかなとも思います。

まあ学校の課題で本を読んだ上での疑問点などを見つけて論文を書けってものがあったのですが、この場合ってその本を読まなかった人でも理解できるように書いた方が良いのか、それとも読んだ人のみがわかる暗号でいいのかと悩んでました。

結局読んだことない人でも頑張ればわかる程度のもので書くという折衷説をとったわけですが、なんか中途半端というか。

結局ダラダラ書いてたら6k字。
多いのか少ないのかもわからない。
原稿用紙で書いたら多いなーとか思うんだろうけど、
PCで書いてたら一瞬過ぎてむしろ少ないような気すらする。
打つだけなら6kでも1hかからんしな。

いい時代になったと思いつつ、機械の進歩に俺の文章力追いつかないみたいな。
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by pyababy | 2007-09-30 23:17 | 日常

k1雑感

さすがにGP開幕戦ともなると面白い試合が多い。
まあ他の時の組み合わせが酷すぎるのもあるんだけどな。
ある人を勝たせるための組み合わせみたいなのがありすぎるし。

今回は自分の予想通りの結果になった。
というよりは順当に行けばその人が勝つといったくらい差がある組み合わせが多かった。
一つを除いてだけどw

個人的にはレミーの復調が嬉しいかな。
動きのキレもよかったし、今年はいいところいけるんじゃないかなあ。
でも審判はクズ。あれは止めるところじゃない。

グラウベとファウストは面白かった。
技術的にはグラウベがかなり上をいってるんだけど、性格的に決められないのかな。
ファウストの勢いにびびってあと一つが打ち込めてなかったのがもったいない。
あのブラジリアンキックは芸術品なだけに、もう少し打ち込んでほしかったな。

藤本と澤屋敷は実力差が露呈した感じ。
勢いと運で勝ったような藤本に対して、ラッキーボーイといわれながらもきちんとした攻撃を決めて勝ってきている澤屋敷ではうまさがまったく違う。
一つ一つをきちんと見切ってるし、カウンターも完璧。
後半のスリップはどう見てもダウン。
ほんとこの審判はクズ。

アーツとセフォーはしょうがないというか熱だったんだろ。
セフォーは普通にたってるのも無理そうだったし次頑張れ。
でも今日のアーツは良かった。セフォーが普通の状態でもまず負けただろ。

ホンマンとモーの試合はありえない。
審判がホントにクズ。
どうみてもローブロー。
一回止めたと思いつつダウンとるとか意味がわからない。
買収か自国贔屓か知らんが、あからさますぎる。

「リマッチ? もちろん。ただ、それはソウルではなくて、違うところだ。韓国ではホンマンに有利だったからな。それに、今度はローブロー対策をしっかりしないといけない。」

これがモーのコメントだけど、どうみてもry。
試合内容は間違いなく勝ってたし、あれはどうみても。

チョンはなんともいえないなあ。

「あの判定は正当だと思うし、後悔もありません。」
これホンマンのコメントなんだけど、所詮チョンってわけなんだろうな。

日本だけじゃなくてアメリカのファンも敵に回してわろすわろす。

俺は別にチョンが嫌いなんじゃなくて、この下らない人間性が嫌いなだけ。
まあK1以外の話になってしまうから今日は終わらせるか。

GPは順当に行けばシュルトなんだけど、あえて澤屋敷を推したい。
ダウンは巨人相手じゃきついけど、判定だと多分勝つだろ。

なんやかんやいいつつ12月期待age
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by pyababy | 2007-09-29 23:33 | 日常

今更最終兵器

今更なんですが最終兵器彼女を読み終えました。

昔後輩の家で一巻読んだ記憶があるのですが、当時はリアル中2過ぎてセクロス描写が生々しかったため、途中で投げ出した思い出があるような無いような。

さすがにこの歳にもなると漫画や映画のセクロスシーンくらいじゃ特に何も思わず、普通に読み進めることはできるようになってるみたいです。

正直設定とかが無理ありすぎですが、面白かったです。
気になるのは、誰が戦争の相手だったのかということ。
まあここは触れないのがいいのかな。

印象に残っているのは、自衛隊に入って戦争に行くという友人に対し
「お前が死ぬのが厭なんじゃなくて、お前が人を殺すのが耐えられない。」
みたいな感じの台詞でした。

少し前に読んだ人殺しの心理学の本にかいてあった、
殺されることより殺すことが怖いというものが同時に思い出されました。

人を殺してしまった自分を受け入れること、そして人を殺してしまった友、恋人を受け入れること。これは言葉では言い表せない難しさがあると思います。

戦争だから許される。命令だからしょうがない。
この理論と倫理観との距離を埋められる強さを僕にはもてません。

漫画の中で彼女は強くなりたいと常にいっていました。
兵器としての強さじゃなくて、上記の強さだと解釈しています。

でもこれが強さなら、弱くてもいいかなと思ってしまう僕もいます。
強さだけじゃなくて弱さも大切なのかなとも同時に思います。

この漫画では、その強さを埋めるため、そして兵器として、人として生きていく中で一番大切なものとして愛、恋、というものを持ってきていました。

人を好きになって、好きな人のために生きたい。
他人を殺してでも生き残る理由は、好きな人に会いたいから。

積み重ねてきた理論ではなく、本能的な感覚。
それに身をゆだねるのも、悪くはないなと思ったりもしました。

本能に逆らって生きて、悔しい思いをしたことが何回あっただろう。
そう思うと、無駄な理性というものをいつまでも保っている理由がわからなくなりました。
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by pyababy | 2007-09-28 20:38 | 日常

はじめてきみとしゃべった。

学校に同じゼミなんだけどほとんど話したことがない女の子がいます。
というよりは、僕が何もしていないはずなのに相手から僕のことが嫌いオーラを感じるほどの強敵です。そのオーラを出されるとさすがの僕もイライラするので、同じようなオーラで返している間柄でした。

正直なところ嫌われる要素もなく、むしろ仲良くはしたい方ではいました。

そんな彼女と僕の男友達(A)が仲良いみたいで、そのAに手招きされるがままについていってみると、その彼女がいました。

記念すべき初会話は、
「Aとあんたってほんとに仲いいの?」

イミフwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
でした。

彼女はどうも僕とAが友人関係というのが信じられなかったらしく、Aに僕を呼ばせたみたいでした。ほんとしねばいいいとかおもった。

まあそんなこんなで初会話を交わし、少し会話をしました。
でも相変わらずトゲありまくりで、嫌われてる確信がなぜか持てました。

彼女との関係を少し話すと、
・週2回くらい朝に同じ電車なのに目があってもお互い無視
・ゼミの時間に必要会話を振ってもスルー
・コンパで席がとなりでも会話が弾まなすぎて気付いたら別のところへ
・学校であっても彼女だけ挨拶無し(友達は何かしら挨拶有り)
・僕が覚えている必要会話は、「その肉とって。」のみ。

彼女とだけは仲良くなれる気がしません。
その理由はいくつかあるのですが、個人的理由過ぎて。

ここで何が問題かといえば、彼女がブスならば仲良くなりたいとも思わずに、話さなくても何もないのですが、彼女が学部内でTOP3に入る可愛さなのです。

直結の僕としては諦められない。それだけです。
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by pyababy | 2007-09-27 22:51 | 日常

とてつもない日本。

今更なんですが、麻生太郎の『とてつもない日本』を読み終えました。

彼の演説などはyoutubeで見たりしていたので、主張内容などは理解はしていましたが、著書を読むのはこれが初めてでした。

印象としては、主張が明確でわかりやすい。
これが一番大きかったです。

政治家が書く文章というものはいくつか読んできましたが、どれも主張が明確ではなく、大切な部分はぼかして書く文章が大半でした。

彼の場合はまず自分の主張を一番に書く。
そしてその例を僕らにわかりやすい形で示す。
文章の基本の書き方だとは思うのですが、それがすごく上手です。

それゆえに彼が本当に言いたいことが誰が読んでもわかる。

よく馬鹿だからわからないみたいなことをいう作家もいるけど、彼の文章は馬鹿でもわかるように書いている。というよりはわかりやすい文章を書けば馬鹿でも誰でも理解できるということを証明する良い例じゃないだろうかとすら感じる。

馬鹿でも読めると書いたが、文章が簡単ということではない。
稚拙な文などではなく、内容も実はすごく奧いっていて難しい。

だけど変な遠慮などでオブラートに包んだ文章というわけではなく、明確。
そして例も難しい例を出してくるのではなくて、自分たちの生活に近い例を出してくれるから理解を本当に助ける。

彼の文章の書き方は、僕としてはすごく参考になった。

文章自体のうまさだけでなく、主張にもブレがない。
自分の中で答えをちゃんと出しているから、どの主張においても主軸になる部分は同じであり、相互の主張に矛盾がない。だからこそややこしく考える必要もなくなるため、読んでいても同じスタンスで常に読み続けられる。

彼の文章を読んでいて思ったことは、主張を明確にすればするほど議論ははかどるんじゃないかということ。

自分の主張と相手の主張の何が違うのかが明確になるからね。
今の議論だと、相手との違いを見つけるだけで一苦労。そうではなくて自分が本当に何がしたいのかをお互いが前面に出すことで、問題点のみを議論することが出来、無駄な議論が消え、重要なところをしっかりと話し合える。

その代わりといっては何だが、主張のしっかりしていない人とは議論ができなくなる。
一言で言えば無駄だからかな。

もちろん明確にするだけじゃなくて根拠もしっかりしている必要はある。
彼の場合だと一般常識から見るととっぴょうしもない主張もあるが、根拠自体はしっかりしているから主張自体を間違いとは言い切れない。むしろ新しい視点として取り入れても問題はないように感じる。

そこが多分、彼の主張のわかりやすさに繋がっているんだと思う。
当たり前の主張しかしていない普通の政治家がなぜわかりにくいのかといえば、主張内容が明確でなく、根拠が難しく理解しがたいからに他ならないだろう。

彼はその点においては他の政治家とは違うということはこれを読めば理解できる。

北村弁護士が彼を推す理由もすごくわかる。
彼の主張は政治家に対してしているわけではなく、国民に対してしているからだ。

政治家のための政治ではなく、国民のための政治。
それを実践するのであれば、国民の立場からの主張が大切である。

他の政治家ではできそうでできなかったことをやってのけている。
多分北村弁護士が彼に惚れ込んだ理由もそこだろう。

今回の総裁選では福田氏が勝利した。
理由としては、政治家のための政治をするのは彼だからだろう。

多分だけど、この投票を国民が行っていれば結果は変わっていたと思う。
正直なところ、国民の代表を決める選挙が国民投票でないのはおかしいと思う。

議会制民主主義であり、国民代表である議員が投票して選ぶ。
間接的には僕らの主張ではあるが、直接的には僕らの主張ではない。

政治家の一票は、僕らの50万人程度の価値がある。
その50万人の意見が裏金でひっくりがえるのなら、1億でも安いだろ。

国の仕組みを変えるのは簡単ではないし、これを変えるには憲法を変えないといけないから数日でできることでもない。

だけれども、今回の総裁選では国民と政治家の意見が食い違っていることがある程度明白になったように思える。

福田さんが悪いとは思わない。
だけど僕は彼を求めていないし、麻生氏の主張に魅力を感じる。
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by pyababy | 2007-09-26 22:41 | 日常

新学期

大学の新学期なんてものは始業式もないから、実感もわきません。

先生も特にやる気もないみたいなのと、人前で話すのが久しぶりみたいな感じで結構早く終わったりしてこんなもんでえんかなって思ったりします。

ですがまあ僕らも100分*4とか5を急に集中できるわけもなく、先生達のウォームアップが結構役立ってたりもします。

久しぶりに会う友達ってのも中学高校とは印象が違います。
クラスが無いのが大きいのか、特に懐かしさも感じなかったりします。

そして何より、今学期からは真面目に頑張るっていう人の多さ。
前の学期のはじめもその前もききました。

今回は頑張るから。
彼らの今回は本当に今回なのか。
多少気になりつつそのうちこなくなる彼らが見えました。

そんな感じの人が多いから、初回の授業は人がすごく多いわけです。
邪魔くさい。

僕個人としては講義に出るでないなんてどうでもいいと思っています。
必要あるならでたらいいし、理解していて単位を稼ぐだけなら出ないでもいい。

ただわかることのために学校に行くのも馬鹿らしいし、
僕としては知らない教科を中心にやりたいってのはある。

単位も取れないし理解もしてない。
なのに講義にも行かない。
そんなやつらはアホだから俺に頼る前に留年してくれ。
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by pyababy | 2007-09-26 16:43 | 日常

オマツリと事件

某高校のいじめ自殺の事件をめぐって2chでは祭りが繰り広げられています。
僕の地域の学校ということもあり、多少知り合いはいるようないないような。

まあさすがに学年が違うので、直接の知り合いはいないみたいです。

とまあこんなことが簡単にわかるのも、祭りになってるからに他なりません。
いじめの主犯格の名前、住所、写真、全てNETにあがっていました。
その彼女の名前と住所も上がっていたのに驚きです。
(彼女自体も間接的にいじめを助長したからみたいですが)

その彼らにも何故だか指定校推薦なんかが行き渡るみたいで、
僕の学校にも何人か来る可能性があるみたいです。

その辺は正直どうでもいいのですが、
ただなんで学校がいじめた生徒を庇うのかが理解しがたいんですよね。

庇うのって、虐められた生徒なんじゃねーのって。
いじめ自殺って、因果関係が認められにくいから逮捕とかそんなことはしにくいけど、
虐められていた事実ってのはいくらでも出てきてるんだし、証言もある。
それなのに庇う理由がわからない。

学校の何泥を塗った存在を庇って何になるのかもわからない。
切り捨てろよそれくらい。
もういじめ自殺の出た学校っていうことで名は広まってるんだから。

総体終わるまで時間稼ぎしてたりってのも、イライラさせてくれる。

閑話休題。

彼らは今祭りの真ん中にいますが、虐められて自殺した生徒を置いておいて、
その祭りを見ていることを楽しんでしまう自分がいます。

スネークの報告を見たり、明らかにおかしい対応の校長を見たり。
自分の卑しい好奇心を満たす情報を、必要以上に求めてしまっています。

祭り上げている人達は、僕も含めてある種の正義感でやっているのでしょう。
いじめ=ダメ 自殺した=殺人と同じ 殺人=悪
これを行った人を罰するのは正義で問題がない。

多分こんな感覚でどんどん祭り上げているんだとは思います。
一度着いた火はそう簡単に消えることもなく、今度は逆に虐めていた側が
被害者に変わっていきそうに感じます。

ある意味では虐めた側が制裁を受けて当然なんです。
だけどそれを僕らがするのかといえばそうでもないと思う。
本来は国家権力が行うことで、私闘を防止するはずじゃないっけ。

なんだけど、警察も動かない。
マスコミもある程度しか動かず、すぐに次の事件にうつっていく。
そして学校に守られた加害者はのうのうと暮らしていける。

その状態を考えたら、この祭りでの制裁というのも悪くはないと思える。
ただ、やりすぎなんじゃと思うこともあるからなんともいえなくなる。

国家が望む罰と、市民が望むものが違うんだろうね。
そして市民と権力者の思想も違うんだろうね。

まあなんとなく思うんだけど、
今までって何か事件があっても当事者と第三者のマスコミしかいなかったよね。

なのに今は、マスコミの他に第四の人物としてNETがある。
正確には市民が事件に関与しやすくなった。

これは多分すごく良いことなんだよね。
地域の安定化を図ろうと思えば、市民の団結ってのはすごく大切。

祭りで団結っていうのもあれだけど、刑罰より祭りの方が身近なんだよね。
ああやって加害者の住所や顔がわかっていく様子を見てると、
正直犯罪なんてしようと思えなくなる。

それくらい世間の目ってのは怖い。
それを意識させれてるNETはなかなかいいものだと最近は思う。

ただまだ全員が参加できていないから、その意識が共有できていないのが残念だ。

まあ祭りになる前になんで対処できなかったのか。
そこはしっかりと追及してほしい。
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by pyababy | 2007-09-24 21:33 | 日常

やすみがおわるよ!

長い大学生の夏休みが今日を過ごせば終わりです。
別に夏休みじゃなくても年中休みとかわらんので大差はないのですが。
ただ少し通学がめんどくさいのかな。
講義自体は好きなので特に問題はありません。

休みが長くなると、やることがなくなってきます。
社会人になると多分休みなんてのはとれて週2。
それゆえに休みにかける思いも変わってきて、
趣味やその他の時間に有意義に使うようになるのでしょう。

ですがまあそんな趣味やその他だけで丸2ヶ月も過ごせる人は
まあまずいないでしょう。

サークルや部活なんかで拘束されるというのを除けば、
多分結局のところバイトで時間をつぶしつつ時間をお金に換える作業、
これが大学生の夏休みでは一番多くなるのではないでしょうか。

僕はこれがアホらしく感じるので、休みは休みらしくダラダラします。
遊びに行くときは遊びに行くし、やりたいことをやる。
今年の夏はあんまり本が読めなかったのが悔やまれます。
18冊か。

特に9月に入ってからが読まなかったというか、積み本がなくなったのが怠かったです。
ちょうどブックオフの割引券が入らない時期で、買いに行くのも怠かったです。
そんなこといいつつも文庫本だけで物いれるボックスが埋まりました。
そろそろいらない本を売りに出す時期なのかもしれません。
もう漫画とかCDとかゲームとかも全部売ろうかしら。

でもなんていうか売っても10円とかにしかならないなら、
家に置いておいてもかわらないんじゃないかって思ったりもするわけです。

旅行が嫌いだからあれなんだろうなあ。
旅とか遠くに行くとか、まあ少し楽しそうではあるんだけどな。
やりたいのは何の目的も決めないぶらぶらと、
一週間くらいひたすら駅前に立っての人観察。
この二つは大学生のうちに終わらせたらいいかな。

色々あったようななかったような。
むしろ今年はそんな楽しい思い出よりは、精神的にきつい思い出ばかりです。
精神面でのしんどさの充実度は間違いなく人生TOPです。
だらけた度合いだと5番目くらいでしょうか。

多分今は時間が余っている状態だから、
時間のありがたみがわからないんだと感じます。

ですが余っているといっても暇なわけでもなく、やることはあります。

やることをするときに、自分の性格を把握した上で、最大限の効率を引き出す。
効率を上げるおかげで、趣味じゃないけど遊びの時間が増えました。

正直なところ、忙しいと暇なのって違いがないと思うのです。
忙しい奴は無駄な予定を詰めすぎてる。
暇な奴はやることをみつけきれていない。

どちらもただ単に適正な量が見極められていないだけです。
適度な量を持って生きれば、案外満足した生活が送れるんじゃないでしょうか。

無理はよくないし、挑戦しないのもよくない。
逆をいえば、無理をせずできることに挑戦。
多分理想型がこれなんだろうなあ。

できることを増やしていくうちに、無理なことも無理じゃなくなる。
不可能を可能にすることが人の成長であると、今思ったので書きました。

こうやってダラダラと文章を書くのが僕は好きです。
読んでいる相手は多分この辺まで来たら相当な変人しかいないでしょう。
だけど、こうやって頭の中を空っぽにしてても
指は勝手にキーを叩くし、ことばは次々と出てきます。

もちろん僕の書くことばなんて重さも何もないし、意味も特にありません。
多分指が無意識のうちに僕の感じていること、
誰かに伝えたいと思っていること、
本当はこうやっていきたいっていうことを、勝手に書いているんだと思います。

何かのことばを話すときに、僕はどちらかといえばあまり考えずに話す方です。
話しながら考えることもありますし、前もって準備することもありますが、
とりあえず口が動くままに喋って、タブーを言ったときのみ訂正するという形を使います。

僕の意識で考えた状態で話すと、無駄なことばが増えるし、伝えたいことが消えていくように感じるので、とりあえず口を動かしてみます。

口が動かないときは多分しゃべりたくないかめんどくさいだけです。
僕と一緒にいるときに僕が喋っていなくても、その人が嫌いとかではなくて
ただ喋るのがめんどくさい、あるいは疲れているだけです。

多分この感覚は相手には理解できなくて、
相手にしてみれば無視をされているという一番辛い状態なのでしょう。

それゆえに僕は無言の状態をキープできる友人がすごくほしいです。
何も喋らないことが苦痛じゃない人。
それをすごく大切にしたいと思っています。

休みの間は一人の時間の方が明らかに長かったように思います。
遊びに出ていたといえども週2-3程度ですしね。
バイトを含めたら週4-5は出ていましたけど。

その状態から人と接しなくてはいけない世界に戻るのが、少し億劫です。
人と接するのが嫌いなのではなくて、
人と接しなくてはいけないのが嫌いなのです。

やりたくないことでもやらざるを得ない状況。
それが社会ってものだと思っています。

その点では明らかに社会不適合なのですが、
自分をそこで押し殺すという思想を持つことで適合させて生きていけます。

実際上は、ほとんどの人が社会不適合だと思っていますが。
あんなもの、人間が効率よく動けるための仕組みを作っただけで、
人間の本来の在り方とは違うんだから当たり前です。

人間工学に基づいた物があんまり使いやすくないのと同じです。
社会って枠を作ったら住みやすいと感じるから作っただけで、
実際上の住んでいる人がどう思っているかはそれぞれです。

ただそれにみんなが納得した上で住んでいる、
あるいは一人一人の力じゃどうにもならないレベルの巨大な社会、
そんな風になっているために住みにくい社会から変わることはないのです。

僕が夏休みだった時間。
この時間があれば多分色々なことができたとは思います。

僕がその時間を有効に使えているかと言えば疑問が残りますが、
過ごした時間だけはみんなが一定に持っています。

その時間の中で出来る経験の総量は一定であると僕は考えています。
寝ていようがずっと遊んでいようが働いていようがデートしてようが、
同じ時間だけ異なった経験をしているだけです。

その結果がどう出るのかは人それぞれであって、
目に見えた結果が出る人も言えば、精神という目に見えない結果の人もいます。

それをどう評価するかは自分次第だし、人にとやかく言われることでもありません。
その点で人は平等だと僕は最近は思うようになりました。
時間と経験は平等なんです。
ただその中で何をするかが違うだけです。

どんな人と出会って、どんなことをしてってのが違うだけです。
24時間考え続けている人、サッカーし続けている人、
この両者だと多分頭とサッカー能力に違いがすごくでてきます。

ですが同じ24時間を何かに熱中して過ごしました。
得られた経験は総量は同じだと思います。

ですが価値はどうなのでしょうか。
僕はここで同じだと言いたいのですが、価値ということばには主観が入るので、
やはり同じ物だとは言い難いです。

それゆえに同じ時間を過ごすのであれば、
その時間に価値をもてたのかということが一番大きな物なのじゃないでしょうか。

夏休みの最後にそんなことを思いました。

僕の夏休みには価値があったのでしょうか。
多分その答えが出るのはまだまだ先ですが、
それなりの価値はあったと思います。

自分という人間をどこまで持ち上げられるか。
やるからには、TOPの世界で戦ってみたいですね。
どこまでやれるか、そしてそのなかで勝てるのか。

負ける気はしない。
それだけが僕の確信できる事実です。

こんにちは秋。
外が涼しく、風が心地よくなってきました。

今年の季節はもう二つ終わって、涼しい時間だけが残されました。
暖かい時間に戻るのは一年後。

変わらない季節を余所に、僕はどれだけ成長できるのか。
季節と人間という比較できない物を比較するのも馬鹿らしいのですが、
一定に保たれた季節という物と僕をあえて比べてみたいと思います。
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by pyababy | 2007-09-24 02:04 | 日常

やすみがおわるよ!

長い大学生の夏休みが今日を過ごせば終わりです。
別に夏休みじゃなくても年中休みとかわらんので大差はないのですが。
ただ少し通学がめんどくさいのかな。
講義自体は好きなので特に問題はありません。

休みが長くなると、やることがなくなってきます。
社会人になると多分休みなんてのはとれて週2。
それゆえに休みにかける思いも変わってきて、
趣味やその他の時間に有意義に使うようになるのでしょう。

ですがまあそんな趣味やその他だけで丸2ヶ月も過ごせる人は
まあまずいないでしょう。

サークルや部活なんかで拘束されるというのを除けば、
多分結局のところバイトで時間をつぶしつつ時間をお金に換える作業、
これが大学生の夏休みでは一番多くなるのではないでしょうか。

僕はこれがアホらしく感じるので、休みは休みらしくダラダラします。
遊びに行くときは遊びに行くし、やりたいことをやる。
今年の夏はあんまり本が読めなかったのが悔やまれます。
18冊か。

特に9月に入ってからが読まなかったというか、積み本がなくなったのが怠かったです。
ちょうどブックオフの割引券が入らない時期で、買いに行くのも怠かったです。
そんなこといいつつも文庫本だけで物いれるボックスが埋まりました。
そろそろいらない本を売りに出す時期なのかもしれません。
もう漫画とかCDとかゲームとかも全部売ろうかしら。

でもなんていうか売っても10円とかにしかならないなら、
家に置いておいてもかわらないんじゃないかって思ったりもするわけです。

旅行が嫌いだからあれなんだろうなあ。
旅とか遠くに行くとか、まあ少し楽しそうではあるんだけどな。
やりたいのは何の目的も決めないぶらぶらと、
一週間くらいひたすら駅前に立っての人観察。
この二つは大学生のうちに終わらせたらいいかな。

色々あったようななかったような。
むしろ今年はそんな楽しい思い出よりは、精神的にきつい思い出ばかりです。
精神面でのしんどさの充実度は間違いなく人生TOPです。
だらけた度合いだと5番目くらいでしょうか。

多分今は時間が余っている状態だから、
時間のありがたみがわからないんだと感じます。

ですが余っているといっても暇なわけでもなく、やることはあります。

やることをするときに、自分の性格を把握した上で、最大限の効率を引き出す。
効率を上げるおかげで、趣味じゃないけど遊びの時間が増えました。

正直なところ、忙しいと暇なのって違いがないと思うのです。
忙しい奴は無駄な予定を詰めすぎてる。
暇な奴はやることをみつけきれていない。

どちらもただ単に適正な量が見極められていないだけです。
適度な量を持って生きれば、案外満足した生活が送れるんじゃないでしょうか。

無理はよくないし、挑戦しないのもよくない。
逆をいえば、無理をせずできることに挑戦。
多分理想型がこれなんだろうなあ。

できることを増やしていくうちに、無理なことも無理じゃなくなる。
不可能を可能にすることが人の成長であると、今思ったので書きました。

こうやってダラダラと文章を書くのが僕は好きです。
読んでいる相手は多分この辺まで来たら相当な変人しかいないでしょう。
だけど、こうやって頭の中を空っぽにしてても
指は勝手にキーを叩くし、ことばは次々と出てきます。

もちろん僕の書くことばなんて重さも何もないし、意味も特にありません。
多分指が無意識のうちに僕の感じていること、
誰かに伝えたいと思っていること、
本当はこうやっていきたいっていうことを、勝手に書いているんだと思います。

何かのことばを話すときに、僕はどちらかといえばあまり考えずに話す方です。
話しながら考えることもありますし、前もって準備することもありますが、
とりあえず口が動くままに喋って、タブーを言ったときのみ訂正するという形を使います。

僕の意識で考えた状態で話すと、無駄なことばが増えるし、伝えたいことが消えていくように感じるので、とりあえず口を動かしてみます。

口が動かないときは多分しゃべりたくないかめんどくさいだけです。
僕と一緒にいるときに僕が喋っていなくても、その人が嫌いとかではなくて
ただ喋るのがめんどくさい、あるいは疲れているだけです。

多分この感覚は相手には理解できなくて、
相手にしてみれば無視をされているという一番辛い状態なのでしょう。

それゆえに僕は無言の状態をキープできる友人がすごくほしいです。
何も喋らないことが苦痛じゃない人。
それをすごく大切にしたいと思っています。

休みの間は一人の時間の方が明らかに長かったように思います。
遊びに出ていたといえども週2-3程度ですしね。
バイトを含めたら週4-5は出ていましたけど。

その状態から人と接しなくてはいけない世界に戻るのが、少し億劫です。
人と接するのが嫌いなのではなくて、
人と接しなくてはいけないのが嫌いなのです。

やりたくないことでもやらざるを得ない状況。
それが社会ってものだと思っています。

その点では明らかに社会不適合なのですが、
自分をそこで押し殺すという思想を持つことで適合させて生きていけます。

実際上は、ほとんどの人が社会不適合だと思っていますが。
あんなもの、人間が効率よく動けるための仕組みを作っただけで、
人間の本来の在り方とは違うんだから当たり前です。

人間工学に基づいた物があんまり使いやすくないのと同じです。
社会って枠を作ったら住みやすいと感じるから作っただけで、
実際上の住んでいる人がどう思っているかはそれぞれです。

ただそれにみんなが納得した上で住んでいる、
あるいは一人一人の力じゃどうにもならないレベルの巨大な社会、
そんな風になっているために住みにくい社会から変わることはないのです。

僕が夏休みだった時間。
この時間があれば多分色々なことができたとは思います。

僕がその時間を有効に使えているかと言えば疑問が残りますが、
過ごした時間だけはみんなが一定に持っています。

その時間の中で出来る経験の総量は一定であると僕は考えています。
寝ていようがずっと遊んでいようが働いていようがデートしてようが、
同じ時間だけ異なった経験をしているだけです。

その結果がどう出るのかは人それぞれであって、
目に見えた結果が出る人も言えば、精神という目に見えない結果の人もいます。

それをどう評価するかは自分次第だし、人にとやかく言われることでもありません。
その点で人は平等だと僕は最近は思うようになりました。
時間と経験は平等なんです。
ただその中で何をするかが違うだけです。

どんな人と出会って、どんなことをしてってのが違うだけです。
24時間考え続けている人、サッカーし続けている人、
この両者だと多分頭とサッカー能力に違いがすごくでてきます。

ですが同じ24時間を何かに熱中して過ごしました。
得られた経験は総量は同じだと思います。

ですが価値はどうなのでしょうか。
僕はここで同じだと言いたいのですが、価値ということばには主観が入るので、
やはり同じ物だとは言い難いです。

それゆえに同じ時間を過ごすのであれば、
その時間に価値をもてたのかということが一番大きな物なのじゃないでしょうか。

夏休みの最後にそんなことを思いました。

僕の夏休みには価値があったのでしょうか。
多分その答えが出るのはまだまだ先ですが、
それなりの価値はあったと思います。

自分という人間をどこまで持ち上げられるか。
やるからには、TOPの世界で戦ってみたいですね。
どこまでやれるか、そしてそのなかで勝てるのか。

負ける気はしない。
それだけが僕の確信できる事実です。

こんにちは秋。
外が涼しく、風が心地よくなってきました。

今年の季節はもう二つ終わって、涼しい時間だけが残されました。
暖かい時間に戻るのは一年後。

変わらない季節を余所に、僕はどれだけ成長できるのか。
季節と人間という比較できない物を比較するのも馬鹿らしいのですが、
一定に保たれた季節という物と僕をあえて比べてみたいと思います。
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by pyababy | 2007-09-24 02:04 | 日常

ことばのための文章。

文章の中に光る他のことばとは輝きの違うことば。
それが文章の中で自然におかれていれば、違和感も何も感じないのですが、それらの言葉を含む文章や、前後の文章に不自然さを感じることがあります。

僕が本や漫画を読んでいると、そんな場面にたまに出くわします。

僕の感覚だとそれらの言葉って浮いちゃうんですよね。
いい言葉なのはわかる。
だけどそれを使う場所はここじゃないって思っちゃうんです。

この言葉のためだけのシーンだろ。
そんなことはないとは思うのですが、そう感じてしまうのです。

そのことばの重みが他と違うだけに、使いどころは難しいのかもしれないのですけど、所謂名言といわれるものになるようなことばだと、それ相応のシーンがあるのです。

だから僕個人の感覚になって悪いのですが、いい言葉が浮かんだとしても、
その言葉を使うべきときを待ってほしいのです。

早く使いたいがために使いどころを間違えると、
ことばの輝きが失われてしまう気がするのです。
ここは正確には、そのことばが目だたなくなるといった感じでしょうか。

もちろんそのことばとシーンが完璧に合っているものもあります。
スラムダンクなんかはそのあたりがパーフェクトだと感じています。

あるべきシーンに、決めるべきことばが決まっています。
だからこそあの漫画には名言が溢れています。

目だたなくてもいいことばなら結構他の漫画にもあります。
だけどスラムダンクが名言の宝庫とされる理由には、そのことばを引き立たせるシーンを作れたこと、これが大きいと思います。

スラムダンクだと、「俺は今。今なんだよ!」
ってところが好きだったりするんですが、このことば自体は結構ありきたりなんですよね。
だけどそれを引き立たせるシーンが本当にことばにあっていいます。

このことばを最初の方でいっても意味無かったと思うのです。
山王戦でなおかつ怪我と引き替えといった状態だったから心に染みたんだと思います。

どこで使うか。
そしてそのことばの持つ力がどれほどのものか。
それらが一致したときに本当の名言になるんだと思います。
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by pyababy | 2007-09-23 01:13 | 日常