日々垂れ流し。
by pyababy
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人の完成

僕の好きな人が死んで、7年が経ちました。
彼を知ったのは、彼が死んだ後なんですけど。

僕が好きだった彼と同じ歳に僕もなりました。
彼は僕と同じ歳で人生を終え、成長を止めました。

同じ歳になっても、彼と僕とでは人間的にも大きな違いがあります。
今の僕では追いつけないほどの場所に、彼は同じ歳で存在していました。

それがすごく羨ましくもあり、哀しくもあります。

今聴いても、彼のギターは独特の音を出し、特別な表現力があります。

ある意味で彼は死んだことで、僕の一生届かない人間になりました。
その点において彼は僕の中で神格化され、
何があっても超えることのできない存在になりました。

死ぬことは、その人の人生を完成させる行為だと最近思うようになりました。
殺されたにしろ、自殺したにしろ、老衰だったにしろ、その人の人生というものが終わり、完結するという点においては全て同じであるとも思っています。

そして死ぬことで彼らは僕らには届かない存在となり、
完成された人間として僕らの意識の上では特別な存在となります。

多分僕は生きている限り、自分に満足することはないはずです。
その終わりのない望みを終わらせるのが死ぬという行為で、
僕の限界を確定的に定め、それ以上の成長をなくし、
僕という存在をその時点のまま完成させる。

僕を終わらせるには、まだ早い。
彼は同じ歳でそれを選択できたのが、ある意味で僕は羨ましい。
僕にはまだ足りない部分が多すぎるから。
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by pyababy | 2007-10-31 22:46 | 日常

儲からない真理

大学の講師って稼げないって話を講師の人としていました。

教授は稼げるんです。
でも講師は。。

大学側も安く使い捨てられる非常勤講師を多く使いたいらしく、
その先生なんかは一個の大学だけだと月収がホームレス以下だったらしいです。

非常勤のよさも色々あるんだけど、
現実問題として講師が稼げないってのは少し不思議だなーと。

それと引き替えに大学に居座ってる教授達は、
うまい思いいっぱいしてると思うと。

もちろんそれだけの実績を上げたからってのはあるんだけど、
現実的な差の部分を見てしまうと何ともいえない気持ちになる。

大学の講師だけじゃなくて、小中学校の先生もそう。

実労働時間とかを含めたら、明らかに割に合わないのが教師。
それでも教師の責任として教えないといけない。
そして教師になるということは、それらを我慢してでも教える情熱を持っているといった、
間違った常識が支配しているのが現状だろう。

現在のゆとり教育を考える場合、
内容を充実させようとするとどうやっても教師の質が求められる。

しかしその程度の待遇では、質の高い人間は間違いなく教師以外の職業を選ぶ。
現に僕なんかも、教える情熱とかを抜きにしても、現実的な給料等を考えると、将来の職業として教師という選択肢はほぼなくなっている。

今現在は、間違いなく教師に求められる質と待遇の割合があっていない。

その状態でゆとり教育を推し進めようとするから、
本来の意味でのゆとり教育がなくなり、ただのバカを育てる教育になってしまっている。

まあもちろん待遇をよくしたからといって教師の質があがるとは一概に言い切れないんだけど、少なくとも大手企業並の待遇であるのならば、現実問題を考えて教師という選択を避けた人間が、教師になった可能性も高くなる。

理想論ではあるけど、いい意味での教師の活性化がおこるはずでもある。

ただその前提としての教師の審査制度などがないだけに、なんともいえない。

ちょっとしたクレームで他へ飛ばされるような理不尽なものはあっても、
正しい評価を受けた教師の待遇があがるなんてことはないんだからね。


あー勢いで書いたら何かいてるかイミフになった。

とりあえず金稼ぎたきゃ、今は教師は向かない。
金がなくても理想がほしいなら、教師もいいんじゃねってこった。
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by pyababy | 2007-10-31 01:01 | 日常

忘れること

ふと思い立って今年に買った服その他のお金の集計をしてみようと、
久々にExcelなんかを使ってみました。

日常生活をしているとほとんど使わないわけで、
久しぶりに使ったExcelはSUMすら忘れていました。

Excelが使えなかったとしても、日常だと困ることはないからどっちでもいいんだけど、
結構覚えていたはずのことでも使わなくなった瞬間に忘れていくんだなーと。

一応一回理解していることだから、使い出せば思い出すんだけど、
そこにいくまでが結構苦労しました。

忘れてることって結構いっぱいあるんだよね。

中学の時に必死にやった因数分解だって、
5年ぶりに見たときはぶっちゃけ何が何だかわからなかった。

一応一回解き方みたら思い出せるけど、
あのときみたいに見た瞬間に解けるなんてことはなくて、
ちょっとどころかたくさん考えてようやく思い出す。

人間の記憶って不思議で、覚えていたはずのものを気付いたら忘れているんだけど、
忘れていたものがふと思い出されるんだよね。

だからきっと、今までに見たもの全てを覚えているはずなんだけど、
それを引き出せるところの鍵を忘れてるんだろうね。

その鍵のありかがわかっているものが最近の記憶で、
鍵のありかを忘れてしまったものが思い出せない記憶。
ふとした瞬間に出てくる記憶は、鍵がなくてもたまたま開いた記憶。

そう考えると大体記憶のことはスムーズに解決するのかな。
よくわかんないけど。
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by pyababy | 2007-10-29 22:41 | 日常

頭が良すぎるバカ

今日のそこまでいって委員会にゲストで出演していた元官僚が、
なかなかに面白い人で印象に残りました。

彼の発言は表面だけを取れば、どちらかといえばバカな発言なのですが、それは実際は違っていて、僕らのしている議論なんかには既に答えを出した上での、さらに一歩上で考えた結果だからバカに聞こえていただけでした。

一例なんですけれども、(録画とかしてないからニュアンスだけで)

防衛省の金の使い道の話になったときに
「防衛省は金は何に使っても自由なんですよ。」
といった発言をしていました。

これはまあ自由に使い放題うはおkwwwwwwwなんじゃなくて、
国民側があれのために、これのために使えっていうことを求めておらず、白紙委任的に金を与えられているから、それならば防衛省という国民よりは専門性に優れた人達が金の使い道を決めた方が国のためになると言った趣旨の発言でした。

まあある意味で簡潔に纏められた答えではあります。
だけれども、それが伝わるかといえば一概にそうとはいえません。

全ての人間が彼と同じ思考をしているのであればそれで問題ないのですが、
一般の国民はそれじゃ理解できるわけありません。

今日の場合だと宮崎哲也がいい感じに翻訳していたので、
一応彼の主張は伝えることができていましたけど。

これは彼ら側からしたら、お前らがバカなのが悪いってことになるんでしょうけどね。

でもこれってほんと誰でも起ることなんですよね。

僕も人と話しているとき、ある程度先を見越した話をするときがあります。
前提となる議論などはもう各自で結論が出ているだろうと思って、自分の一番伝えたい部分のみを伝える方が、僕としても楽だから、最小限に絞って話します。

だけどこれが確実に伝わっていたかといえば、そうじゃない場合が多いです。
ある程度仲の良い僕の思考をわかっている人なら別として、彼らがどの程度の知識を持っていて、どのレベルの思考速度なのかということがわからないと、どのレベルの会話をしたらいいのかってのがわからないため、会話のすれ違いが起ります。

だからといって最初から幼稚園児にわかるように話したりするのもあほくさいし、
かといって難しい話でばんばんやるの伝わらなかったら厭だし、
まあそこの見極めが未だにできていなかったりします。

彼ら官僚みたいに、官僚同士、頭のいいものばかりが揃っている状況なら、
彼らのような話し方でも何も問題ないと思います。

だけど、それ以外の人間との触れあいというのも必要なわけで、そんな意味でのコミュニケーション能力というものも身につけないといけないなと、彼の話方をみて思いました。

少なくとも一般人にしたら、バカにしかみえませんから。
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by pyababy | 2007-10-28 21:58 | 日常

軍事の平和

現地の実情を知れば知るほど、軍事力って無意味なんじゃないかって思う。

確かに暴力ってものは他を超える力ではあると思う。
だけど、本当はそれ以外の力を使いたいんじゃないかとは思う。

アフガニスタンで支援活動をしている人の本を読んでるんだけど、
軍事的援助などをしていない日本人だからこそできることがあるみたい。

日本=9条なんていう認識は世界の他の国じゃないけど、
それでも日本=平和という認識はあるようだ。

何よりも、日本=ヒロシマ、ナガサキといった原爆を落とされた国という印象、
その後に来る復興といったある意味プラスのイメージが強い。

少し前までの日本には、軍事という面を抜きにした成長をした国であるといった外国から見たイメージは強かったみたいだ。

それゆえに、日本人だからこそ殺されなかった。
(人質としては取られたりするけど)

でも今は、少しずつだけど日本人も攻撃対象になっているみたい。
その裏にあるのはもちろんアメリカへの援助。

軍事で作る平和ではなくて、現地の人と触れあって、そして現地のためになること、それらのためにする援助に力を入れるべきだと相変わらず思っている。

軍事に一兆かけるなら、ODAに一兆かけてほしい。
相手国に金を渡すだけじゃなくて、現地の人と触れあえるものに。

多分それらが間接的に日本の平和を守ることになるし、
直接的に現地の平和を守ることにもなるから。
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by pyababy | 2007-10-27 22:06 | 日常

普通じゃない行為

一般大学生にとってみたら、本を読む行為は普通じゃないようです。

普通の大教室で本を読んでいると、何故だか好奇の目でみられたりします。
なんの本を読んでいるのかということに興味があるという目ではなくて、
なんでお前本なんか読んでるんだ?といった目です。

そんな彼らとは反対に、教授達は本を読めといいます。

僕は一般の大学生と比べたら本を読んでいる方なので、
一応までに読書の効能であったり利点などはわかっているために、
教授が本を読めという理由もわかります。

一概にそうとはいえないけれども、
僕の知る限りの人間において言えば、
読書をある程度している人間の方が考え方はしっかりしています。

していない人間にはない魅力というものが少なからずあります。

ただ、読書だけの人間には魅力はありません。
それが文系の大半の教授の気がします。

とりあえず何かを読む。
この行為の意味は後から見つけたらいいと思う。

けれどもそれすら思わない人間が今は多いのかな。
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by pyababy | 2007-10-26 21:15 | 日常

だめだなまじ

あたまうごかねーな。
まじだめ。

軽くディベートやってたけど、頭働かないから反論とか思いつかない。
体調だめぽぽp。

まあディベートってどうも苦手。

別に相手の意見をねじ伏せたいとか思わないんだよな。
俺としては妥協点を見つけれたらいい。

むしろ相手の意見は最大限尊重したいからなあ。
あのどちらか一方は確実にダメっていうルールが好かない。

相手の弱点突くところとかは面白いんだけど、
ただ相手の否定ってのが嫌いなんだよなあ。

ゲームにそんなこと思うのあほくさいけど、
俺の人間的に無理なんだよな。人の否定ってのが。

ある意味俺の目指している人間像が、
全てのものを肯定できる人間だから、
何があっても否定したくないんだよなあ。

まああと、自分に興味ない話題じゃ話そうとも思えない。

その辺は直した方がいいのかもしらんけど、
なんだかなーと。
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by pyababy | 2007-10-25 22:58 | 日常

鼻シューやべえ

あの鼻にシュッシュするやつやべえな。
マジで鼻通る。

今日一日鼻つまりまくりで正直死にそうだったけど、
友達に勧められるがままに帰りに鼻シュー買って使ってみたら、
鼻とおりまくり。

俺のミントキャンディードーピングより全然いい。

鼻声+喉いたいのにゼミ説明会で無理に喋ってたら、
余りの声の変さに自分で哀しくなたわ。

あああの先生にこの子声変だわwwwwとか思われたと思うと厭なので
明日もう一回いっていい声アピールしたいです。
でも治る気しません。

ゼミは一回の時からこの人がいいなって思ってた先生で決定っぽいです。
応募者少ないらしくて抽選も何もないっぽいから、
むしろ多くてもその先生的にはやる気ある人は取るらしいから、
特に何も問題なかったみたいです。

何より客観的に見て学部5位の可愛さの女の子(俺的ランクじゃ2位)が
いるのでもう決定です。(悩み中とかいってたけど、きっと大丈夫)

というか久々に初対面の人から話しかけられました。
ほとんどの人は俺の外見が怖くて話しかけられないみたいです。

その前に初対面の俺に話しかけてきた人は、
多分半年前くらいの某女の子くらいです。

この見た目が怖いってのはイカツイとかじゃなくて、
雰囲気が話しかけたらいけないオーラが出てるかららしいです。

自分ではそんな気はないはずなんだけど、そう思われているみたいです。
結構暗い子とか思われていたりするらしいけど、
喋ったことある人はそうは思わないみたいなのでまあOK。

自分から話しかけてみようと思う人って、あんまりいないんだよね。
人間的興味があれば話しかけるけど、そうじゃなかったら話さないでも、
俺的にはその空間に二人しかいなくても特に問題がない。

喋っていない空気が別に苦手じゃないし。

むしろお互いが喋らなくても間が持つ人が僕の好みの人です。
表現ちょっとおかしいけどな。

まあ話すのは嫌いじゃないし、むしろ得意分野ではあるんだけど、
ただ自分が喋りたいときにしか喋らないから、
他の人から見たらちょっとアレなのかなと。

もちろんそのなんていうか必要会話的なものはそつなくこなせるから、
日常生活では問題ないんだけど、
友達増えない理由は間違いなくそこなんだよな。

でも、友達増やそうと思ってないところも間違いなく関係してるけど。

最近少し友達増やしたいです。
でも自分から友達になりたいと思う人は、
自分の生活範囲にはもういなくなりました。。。。

そろそろ引きこもりのからをやぶるときなのでしょうか

読み返してみたら俺の文章けど多すぎだな。
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by pyababy | 2007-10-24 19:40 | 日常

歌の下手な人の気持ち

歌が自称下手な人って、カラオケとかでマイク渡しても歌わないことが多いよね。
カラオケとかこいつumeeeってやつとかほとんどいないし、みんなどっこいどっこいやねんからあんま気にせず歌えばいいやんとか思ってました。

僕自身が普通程度に歌えることもあって、あまり下手な人の気持ちがわからなかったのですが、今日はちょっと風邪ひきつつも歌いたかったのでダチとカラオケいってたときに、下手な人の気持ちがわかりました。

ああ声でねえのに歌うのだめだわみたいな。

恥ずかしいより、聴かせるのが悪い。

こんな雑音聴かせるのは苦痛だろうなと。。。

まあカラオケだけじゃなくて、色々な物事ってそれができない人の気持ちを考えることって難しいよなーと。僕らにとったらできるのが当たり前だから、それができないっていう想像がどうやっても働かない。

うまくなることはあっても下手になることってないからね。

ゆえに後発的な違いについてはいくらでも考えることができても、先天的な違いにおいては経験が不可能という点でどうやっても本当の理解は不可能。

それを埋めるのが対話であったり本であったりするんだろうなと。

まとまんねーや。
はなつまりすぎふぁっく
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by pyababy | 2007-10-23 23:22 | 日常

読み終えることのできない本

自分の中では結構本を読んだなーって思っているのですが、
それでも世界の名作といわれるものの中で読んだことない本が、ごろごろあります。

所謂名作といわれるものを読み終えるだけで、
多分人生の半分くらい使いそうな気がしてなりません。

さらにその上に自分の趣味の本であったり、
知らなければならない知識のための本であったり、
所謂話題の本や小説なんてものも読もうと思うと、
時間もスペックもお金も全然足りなかったりします。

さすがに年間10万とかそんな程度で出版されていたら、
僕程度の読書量じゃ追いつくわけもないんですけどね。

大学に入ってから暇な講義の時間つぶしのために本を読むことが増えました。
講義を聴けって話なんだけど、正直レベルが低いと思ってしまったり、知っている知識だったり、注意や雑談だらけの講義なら、本を読みながらでも聴けてしまうし、講義の理解だけではスペック的に余るものが多いから、本を読んでスペック有効活用してるのが最近の僕の講義スタイルになりつつあります。もちろん聴くべき講義や、自分のスペックをフルに活用してもギリギリ理解できる程度のものは本気で聴きますが。

そんなこんなで、日本文学が苦にならなくなったのがここ3年くらい。
そして世界の名作といわれるものを苦と思わなくなったのがここ1年くらい。

字を読むことすら苦痛だったものが、楽しみへと変わってきています。
それはまあ僕の中でそれらを読むスペックができあがったからに他ならないんですけどね。

世界の名作といわれるものを読んでいると、他の本が地味にそれらをインスパイアしてるなって思うことがたびたび出てきます。

あえてパロディとして書いているものもあれば、結果的に似てしまっているのもあります。

しかしそれらに気付くことができるためには、
前提となるそれらの名作を読まなければなりません。

それらを読んだからこそ理解できる本がある限り、
とりあえずでもいいから所謂名作を読みあさらないといけないっぽいです。
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by pyababy | 2007-10-22 21:25 | 日常