日々垂れ流し。
by pyababy
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連絡よこせと。

メールを返したりするのは結構適当なんですが、それでも何かの用事であったり、返事が求められるものは出来るだけ早く返事をすることにはしています。

それは今までの経験上、何かを企画するときであったり、人を集めたりするときには、返事が来ないということが一番怠いということを理解しているからです。返事が来なければ予定すら組めなくなる上に、そこの段階で作業なりなんなりが全て停止せざるを得なくなります。そのときのだるさときたら、もう言葉に出来ない感じで。

忙しい人だったりするならある程度はしょうがないんだけど、それでも一週間以上たったあとに何食わぬ顔で他の用事で出てこられたりすると、あまりにも腹が立つわけです。いくら忙しくても、「了解」「無理」それくらいのメールを打つ暇くらいはあるだろうと思ってしまいます。それすらない人間が、何故友人と遊びに行ったりできるのか僕には理解が出来ません。遊ぶ暇があるなら、5秒で出来る返事を打てと。

その辺はマナーだと思うんだけど、違うんですかね。

まあ一回でも幹事やりゃわかると思うんだけどなあ。
興味ないならないでいいから、なにかよこせと思うわけです。
本気めんどくさいぜwwwwwwwwwwwwwwww

僕の友人(と思いたくない)の中にも何人かそんな人がいるわけです。
彼らは人の気持ちを考えているのかと問いたくなります。もうそんなことをいうのも怠いので放置しているわけですが、それで許されていると思っているのか、愛想尽かされているのをわかっているのかどっちなのかが多少気になります。

僕の愛想は尽きました。
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by pyababy | 2008-03-31 23:16 | 日常

創造の夜wwwwwwww

昨日の無謀の評判が良かったので、ネットで創造を見てました。

ああ。これがXだと思いました。
普通に鳥肌モノでしたね!!!!!!

後半というかもうオルガズムやるのかよおいおいwwwww
Xやるのまじでwwwwwwwwwww
うそんまじでAOLかよwwwwwwww

みたいなもう破壊は涙目だなこれ。

なにより初日と違って楽しそうだったのがいいな。

あのライブを初日からやれよwwwwwwと思ったけど
やった間違いなく今日の創造が初日の破壊以下になるなwwwwww

いやでもHIDE人形出てきたりするところとかいいな!!!

まあ思うんだけど、映画監督とか、音楽作る人とか、なんでもいいけど、自分の意識の中の世界を現実で表現して、それを人に見れる形にする行為ってのはすごく大変で難しいことなんだろうなと改めて思う。

yoshikiとかそれに関しては天才的だと思うけど、それでも準備不足だったりすると初日みたいなことになっちゃうわけで。

そういう表現する仕事ってのは楽しそうだなと。でもそれをするには自分を支えてくれる人がいて、それを見てくれてる人がいることが前提。

それら二つを揃えれたXってバンドはほんと幸せだなと思いますね。

二日前は酷評したけど、今日のライブはほんとに良かったと思うよ!!
失望したけど、またX好きになったぜ!!!
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by pyababy | 2008-03-30 22:35 | 日常

飲み会

大学生ともなると飲み会が多いわけです。
小学校の放課後のサッカーのノリで、飲み会があります。

僕はあんまり好きじゃないので、仲のいい友達が多いものしか行きません。
あとはクラスの最初に親睦深めよう飲みみたいなやつかな。

社会人ともなると上司と嫌々いかざるを得ないみたいな話を聞きます。実際はどうなのかはわからんのですが、無理矢理いく飲みほどつまらんものは無いと思います。

コミュニケーションの一環といえばそうだけど、無理矢理踊らされたり無理矢理飲まされたりするのは厭だなと。(まあ想像ですが。)

痛いニュースに定期的に上がってるような話だけど、実際のところはどうなんかなあ。
ほんとに無理矢理裸踊りとかやらされるなら、どう考えても家で寝るだろ。

とまあ飲み会にいってて思うんだけど、場を盛り上げようとしてる人って一番つまらなさそうにしてるよなと毎回思ったりします。

無理矢理盛り上げようとするから、なんか必死に見えるし。
それに無理矢理乗っかかる人がいるから、さらに惨めに見えるし。
そんなことをしなくても、ゆっくり飲んだらよくね?と思ったりします。

テンションあげるだけが飲みじゃないと思ってる派の僕としては、
コールかけまくるアホみたいな飲みの楽しさが理解できなかったりします。

みんなに合わせて笑ったりするのが好きな人はいいと思うけど、嫌いだからな。

そしていつも通り、その中の一人や二人と仲良くなって、そのまま消えました。おわり。


あと昨日は集金の夜だったらしいですが、
一番ハズレといわれていた無謀な夜がなかなか神みたいで。
セトリみたりスレみたり他の感想見る限り相当いい感じだよね。

破壊の夜はリハだったのかと思いたい。
DVDぐらいでしか見れないから買うか借りるかするかな。
アンコでXやるとか熱いだろ。そして破壊の夜の人に補償してやってほしいな。。
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by pyababy | 2008-03-30 00:47 | 日常

集金の夜wwwwwwwww

X JAPANの集金の夜を見てましたwwwwwwwww
youtubeでwwwwwwwwwwwwwwww

ああもう酷すぎて言葉にならないってこれのことだね。
どう贔屓目に見てもクソライブ。

行かなくて良かったと思ってしまったわwwwwwwwwww

Xのスレとか見てても、ほとんど同意見。
mixiはちょっと信者色が強かったかな。

いや俺もいちおう贔屓目に見てるんだぜwwwwwwwwww
でもこれをいいライブとはどうやってもいえないwwwwwwww
これを最高とかいったら、他のバンドに悪すぎるわwwwwwwwwww

シャムとかルナシーが最高って評判だっただけになあ。。。

実際SIAMはもうねwwwwwwwww
今思い出しても鳥肌立つんだけどなwwwwwwwwwwww

チケのgdgdとか配送遅れとか、急遽3daysとか、当日の時間押しとか、
ありえねーつかなめてるっつーかこれがXっていえばそうだけど、
ラストライブのまま引退したらよかったと思いました。おわり。
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by pyababy | 2008-03-29 00:05 | 日常

友達に対して思うこと

僕の友人の一人が、二浪の結果ようやく行こうと思っていた大学に受かりました。
彼がそれなりに努力をしていたことは知っていたので、受かったこと自体は素直にこっちも嬉しかったし、良かったなと思う。

その友人とこの前会って遊んでたんだけど、なんで明確な目標や目的があってその方向に進もうとしているのに、大学に入っての新生活(っつってもキャンパスライフのみ)の話しかしないのかなと思ったりしました。

受験に受かって遊ぶなとは思わないけど、僕が普通に考える限り、自分が明確にやりたいことがあるならさっさとそれに向けて何かしたらええやんと思うわけです。

とまあ人に対してはそんなこといいつつも、自分が色々やっているかといえばそうでもないわけで、なんともいえないんだけど。

ただそうやって多分遊び呆けるだろう彼を放っておくのは悪いことなんだろうけど、嬉しがってる人をわざわざ落とすのもなと思ったり思わなかったり。

難しいなその辺の友情か現実かの天秤ってのは。
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by pyababy | 2008-03-28 01:16 | 日常

きえた

久々に書いてたのが消えたわあああ。

要点書くと、要約とか結論ってのは過程とまったく同じとは限らないってことだ。
人が評価するときは、基本的には結論重視で評価するから、実際がどうであれ結果の善し悪しによってイメージなどが決まる。

多分そこで損をしてるんだなと書いた。
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by pyababy | 2008-03-26 23:50 | 日常

過去の自分と被ること

そういえば過去の自分はすぐにでも働きたかった。
お金が欲しいのもあったし、それよりも社会に出たかった。
社会の一つの歯車として動くことに憧れもあった。

でも今いえることは、まだ働きたくないということ。
社会に出るのが怖いことを理解していったからかもしれない。
でもそれ以上に、社会に対する憧れが無くなったのも大きい。

この辺の思想はまあ日本版ニートとなんら変わりないのかな。

この心理の変化が成長とはいいたくないけどな。

自分の可能性の限界ってのが見えてくる。
僕の場合はそこが大きかったんだと思う。

何も知らないでいた3年前より、今は自分のことをもっと知っている。
その上で出した結論は、他人とそこまで大差がない自分という答え。

他人とは違うと信じていた時代は、正直なところ終わった。
ある程度何をやっても人並み以上にできてたのは運が良かっただけ。
ここもようやく理解した。

だから人以上の何かをしないといけない。
そこに気付けたことも案外大きくて、まだまだ時間が足りないって思うようになった。

それらと今の社会を総合して考えて、まだ働きたくないって答えがある。
もう少し自分に何か自信が持てたら、また変わるんだと思うけど。
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by pyababy | 2008-03-26 00:27 | 日常

自分が中心の話。

ここに書く話は全部自分が中心の話。
自分目線で見た世界を、自分の言葉で綴る。
その過程に他人のはいる余地はなくて、僕が中心で世界が廻ってる。

世界がこう一つで、それなのに僕の世界もあって、誰かの世界もある。
一つの世界の中に人の数だけ世界がある。

でもこれもよく考えたら当然の話。
自分が生きる世界は、自分しか知らないのだから。

人によって見える世界や見てきてた世界が違うのは当然で、
そこに出てくる物や人も人によって違う。

多分だけど、僕が見てる世界と君が見てる世界は違う。
本来的には同じものかもしれないけれど、違う世界なんだと思う。

だから人が話すことは全部自分が中心の話で、
他人はあくまで自分を支える一つの要素にすぎないんだと思う。
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by pyababy | 2008-03-24 23:29 | 日常

知らない世界と知らない本。

多分同年代の人間と比べれば、読書量は相当多いとは思う。
僕より読んでいる人間ってのは、自分の周りではほとんどいない。僕が過ごす大学という場所は、読書に重きを置く人間は少なくて、それよりももっと直接的で楽しめるものに熱を注いでいる人が多いように感じる。教室を見渡してみても、授業の空き時間に本を読んでいる人間なんてのは、500人規模の教室ですら二三人。他は他人と話しているか、携帯を触っているか、ぼーっとしているか。それらの行為も僕は好きだが、本を読む行為をあまりしない人がこれだけ多いという場所が不思議に思える。

中学高校では、何故だか本を読む人が多かった。
これは学校の方針もあるんだけど、休み時間であったり、授業中であったり、案外色んな人が色んな本を読んでた。流行りの本からカニヴァリズムまで色々だったけど、本を読む行為は案外普通のことで、誰も気にとめてもいなかった。何の本が面白いだとかそんな感じで、クラスの中で本が廻ったりもしていた。

そんなことは大学ではほとんどなくなって、本について語り合える相手ってのはほとんどいなくなった。一応いたとしても身近な高校からの友人だったりで、新しい発見がないのも少し哀しい。僕がもう少し積極的に動けば新しい友人関係なんてものもできるのだろうけど、そんなわけにもいかなかったりする。

今日はそんな僕が中学時代から気になっていた本をようやく読んだ。
今更『五体不満足』を読むとか、自分でも何をしているんだと思ってしまった。

中学生の時の僕から今の僕まで変わらないことは、流行りものが嫌いということ。
流行っているという事実だけで毛嫌いして、手に取ることを拒んでしまう。流行っていることの何が悪いわけでもないが、他人が既に行っていることを自分が行う理由がわからなかった。自分が出来なくても、誰かが出来るのだから自分はしなくてもいいんじゃないか。そんな思想が当時からあって、この本を手に取ることも拒んでいた。

当時と比べれば僕も丸くなったもので、その辺の変な意地は最近になってようやく薄れてきた。楽しいものは素直に楽しめばいいし、流行っててもつまらなければ興味を示す必要はない。たったそれだけのことに、なかなか気付けずに損をしてきたと思う。

この本にしても、なんとなく読むことを拒んでいただけだった。
ブックオフで100円であったから、なんとなく手に取っただけ。

そういえば読んでない。
有名な本なのに読んでないものってのはいくらでもある。

それぞれが全て面白いというわけではないけど、有名になるには有名になるだけの理由があるということは、ようやく理解できた。古典文学なんてものを読むと特にそれを感じる。何故それらが今まで残っているのか。そこが中高時代は理解できなかったけれども、今になれば厭でも解る。あれは誰がどう読んでも名作だからだ。

彼の本が果たしてそこまでの価値があるかは僕には解らない。
確かに面白かったけれど、彼の五体が無いということ以外を除けば、ただの自叙伝だ。僕が書いたとしても、ここに書いてあることは大学卒業くらいまでのことだから、きっと同じようなことは書けるはずである。僕じゃなくても誰でもだ。

だけどこの本が売れてしまった。
何故売れたかってのはすごく簡単で、珍しかったからだろう。彼の文章自体には魅力があるし、多分健常者であったとしてもある程度は売れたと思う。だけれども、五体がないことがそれを加速させたことは誰も否定できないと思う。彼の本を否定する気はサラサラないけど、そんな社会が少し厭だなと思ったのが、僕がこの本を8年越しくらいに読んで思ったことである。

自分は特別じゃないということを主張したかったと彼は書いているのに、この本が売れてしまったことで作り上げられた彼は、特別な存在であって、障害者の救世主であって、健常者からみたら頑張っている普通ではない障害者になってしまっていた。

僕が買った完全版には、本が売れたあとの苦悩が綴られていた。
どちらかといえばこっちの方が本編より面白かった。五体不満足の彼でなくて、普通の20そこそこの男の本音が語られていたからである。いわばぼやきに近いその感情が、より人間らしさを強め、そこに何かしらの魅力を感じる。

ここに書かれていることが、彼の全てではない。
だけれどもそれを読むことでしか彼を知ることが出来ない僕らは、彼に対してありもしない幻想を作ってしまう。それは文章でしか繋がることのできない関係なのだからしょうがないことなのだけれども、やめていかないといけないことなのだと思う。

このBlogを読んでくれている人間の中でも、多分リアルの僕を知らない人ってのがほとんどだと思う。こうやって色々書いているけれども、実際はただの大学生だし何も特別な事なんて無い。ここに書いているレベルだとそんな乙武さんみたいな想像をされることはないけど、そんな意味での期待ってのはあまり良くないなと思う。

僕は一時期、とある人間に対してそんな期待を持っていたことがあった。
その人は僕にとっての憧れであって、目指したい存在だった。だけど僕の中で彼のイメージがどんどん膨らんでいって、見るべきは彼本人であるはずなのに、イメージの中の彼が本当の彼を遙かに超えてしまっていた。そこに気付きながらも、イメージを信じて本当のものを見たくなかった自分がいてて、結局自分の勝手な感情で彼に失望してしまい、ほぼ一方的に彼の存在を認めたくなくなった。

ある意味この信仰に近い感情ってのは、邪魔だと思う。
人の気持ちを想像することと、その人を作り上げることは違う。

近いようで違うこの感情を改めて感じさせられた、そんな本だった。
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by pyababy | 2008-03-23 21:29 | 日常

何が僕らを生かすのか。

僕たちが持つ疑問のほとんどは、
「何故僕らは生きるのか。」「自分は何なのか。」
といった問いへと抽象化されていくと思っています。

例えば「何でご飯を食べるのか」という問いだとすれば、「何故食べるか」→「腹が減るから」→「何故腹が減るのか」→「生命活動をしているから」→「じゃあ何故生きているのか」といった感じです。

他の問いでもこんな感じで疑問をどんどん繋げていけば、最終的にはほとんどの場合に上記の疑問へと集約されていくように思えます。

僕が今疑問に感じていることは、それ以上の問いはあるのかということです。

ほとんどの人間が結局のところこの同じ問いに悩み、そして答えが出ぬまま死んでいったり、自殺していったりしています。そしてこの答えを出した人が未だに人間の中には存在していないようにも思えます。

結局思い悩んで行き当たる点はそこであって、それ以上の問いに悩んで死んだなんて話は僕の狭い世界じゃ聞いたことがないわけです。

果たしてその問いはあるのかどうかが、すごく気になります。

とある友人に聞いたところ、「ビックバンは何故起こったのか。」なんて答えが返ってきたりしましたが、これは僕の中では「自分は何」という問いに集約されると思っています。

なぜなら、自分は何という問いに完全に答えるためには、この世の全てを知っている必要があって、それを前提とするならビックバンすら理解しているはずだからです。

そんな意味においては、僕が求める問いというものは、
「神は何を疑問に思うのか。」「全知全能の存在に疑問はあるのか。」
といったものになるのかもしれません。

これらの問いは矛盾しているために存在しないように思えますが、それがないのだとするならば、僕らの問いは結局最初にあげたものしか存在しないことになってしまい、それだと長い人生なのになんともつまらいなと。

多分死ねば別の問いが見つけられる気がするんだけど、生きてる間に生という本来的な問い以外を見つけることは難しいのかなあ。

僕らの中で一番中心にあって大切なものが生であるから、それが一番大きな問いになっているんだろうけど、それ以外も何かあればいいなと思うのです。
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by pyababy | 2008-03-22 23:57 | 日常