日々垂れ流し。
by pyababy
カテゴリ
全体
日常

転職
未分類
以前の記事
2016年 01月
2015年 12月
2015年 04月
2014年 10月
2014年 04月
2013年 12月
2013年 04月
2012年 12月
2012年 01月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2010年 02月 ( 18 )   > この月の画像一覧

4年間の変化

日々の変化を感じることは難しいのだけれども、
年単位での比較ならば、多少の変化を感じ取ることは可能だと思う。

大学生活で僕が変わったところ、変わらないところというものは、
きっと無数にあると思うのだけれども、
自分が感じ取ることのできた変化は少ない。

その感じ取れた少ない変化のうちの1つが、
「わからない」という言葉が増えたということである。

過去の自分は、「わからない」という言葉を積極的に使わなかった。
知ったかぶりをするわけではないけれども、
わからないままの自分をどこか恥じていたから、
わからないという言葉をあまり使わなかったのだと思う。

今の自分は、「わからない」という言葉を馬鹿の1つ覚えのように使う。
友人と会話をしていても、少しでも解らないことがあればすぐに聞くようになった。
買い物をしているときも、自分のわからないことはすぐに店員に聞くようになった。
ゼミなんかにおいても、わからなければすぐに「わからない」というようになった。

この変化の理由は主に2つある。

1つ目は、「わからない」ことは恥ずべきことではないという認識ができたことである。
もっというならば、相手のいうことが「わからない」のは、
相手が悪いからという結論に至ったためである。

自分の理解力がないのではなくて、相手の説明能力が低いのである。
だから、わからないのである。

これは自分の能力への開き直りとかではなくて、
自分がプレゼンをする側に回ってみて理解できた事実であった。

何故相手に自分の意見を伝えられなかったのか?
という問いを突き詰めて考えると、
自分のプレゼン能力の低さというところにたどり着く。

相手が理解してくれないのが悪いのではなくて、
相手が理解できるプレゼン(説明)ができない自分が悪いのである。

このことを話す側と聞く側を逆にして考えるならば、
相手のいうことがわからないのは、相手が悪いのである。

それゆえに、「わからない」のは恥ずべきことではないという結論に至った。

ついでにいえば、「わかる」ことがお互いにとっての利益となる場合が多い。
それゆえに、相手のいうことがわからなければ、「わからない」という言葉を発し、
相手に説明を求め、相手と共通の理解を持つことを優先するようになった。

多分この考え方の方が、より生産的であると思う。
そんな考えに至ったため、「わからない」という言葉が自然と増えていった。


2つ目の理由は、「餅は餅屋」という認識が強くなったことである。

これは当たり前のことなのだが、専門家の方が僕よりも知識が多い。
それならば、彼らを頼らなければもったいないのである。

自分にはない視点でのアドバイスが受けられたりする点において、
専門家への質問は非常に有用である。

それゆえに、専門家に対しての「わからない」が増えた。


まあなんというか、丸くなったというか、世間を知ったというのが大きいのかも知れない。
世界は一人で生きるにはあまりに大きくて、
自分は一人で生きられるほど強くないということを、
体と心で理解したことが、ちょっとずつ僕を変化させたんだと思う。
[PR]
by pyababy | 2010-02-28 22:44 | 日常

写真を撮るのが好きだが、人を撮るのは苦手だ。
自分で写真を撮るようになって、人を美しく撮れる写真家の偉大さに気がついた。

以前、とある写真家がこんなことを言っていた。
「顔には、その人の全てが表れるんです」と。

なんとなくだが、わかるような気がする。

大変な人生を送ってきた人は、そんな顔をしているし、
楽しんで生きている人も、そんな顔をしている。

作った表情じゃなくて、ふと見せる素の表情を見た時に、そんなことを感じる。
[PR]
by pyababy | 2010-02-26 21:21 | 日常

忍耐力

友人曰く、僕は忍耐力がないらしい。
その理由はバイトを長期間続けないかららしい。

よくわからない論理だが、彼の中では、
苦痛と思える作業だとしても、バイト続けることが美徳なのだろう。

僕にはその感覚があまり理解できなくて、さくっと次の話題に移った。

事実として、僕はあまりバイトをしてこなかった。
家庭教師を2年強続けた以外は、ほとんど短期のバイトしかしていない。
最低限必要な金を稼ぎ、それが尽きたら少し働くというスタイルだった。

その理由は、
金を払って大学四年間という時間を買っているのに、
自分の時間を金に換える行為をわざわざ行うのが馬鹿らしかったからである。

友人知人にこの考えを伝えても、あまり理解されたことがない。
でも僕にしてみれば、大学時代のバイトというものは馬鹿らしい行為だったのである。

たかだか800円をもらうために一時間を捨てる行為が、
僕には非常に愚かに思えたのであった。

その一時間で、もっと生産性の高い行動ができると僕は考えているし、
バイトをしている時間が無駄に感じてならなかったのだった。

もちろんこれは、バイトの仕事内容にも大きく関係するとは思う。
800円をもらいつつ、非常に有用な経験を積むことができるバイトもあるだろう。
そのようなバイトは続ける価値があるバイトだと考えている。

だけれども、何のスキルも身につかず、疲労と精神的ストレスだけがたまり、
周囲に愚痴を振りまくためにするようなバイトを続け、時給800円を得ることに、
何の意味があるのかが僕には全くわからなかった。

それゆえに、バイトには時間を費やさず、自分のしたかったことをしてきた。
勉強だったり読書などの、ゆっくり時間を使う作業に買った時間を当てた。

大学四年間の時間をどんな風に使うかは、個人の自由である。
僕にとっては、バイトは時間を使うに値しない行為であったのだった。

これが会社での仕事になると、どうなるのかはわからない。
価値があると思えば続けるだろうし、
それを感じなければ人生に必要最小限の金を稼いだ後は、
仕事などは続けずに悠々自適の生活を送るだろう。

そんな僕を忍耐力がないと捉えるのも個人の自由である。
僕の認識では、効率よく生きた結果にすぎないが。
[PR]
by pyababy | 2010-02-26 21:16 | 日常

楽しさのレベル。

スポーツでも楽器でも学問でもなんでもそうだと思うんだけど、
その人のレベルにあった楽しさがあると思う。

楽器でいえば、
初心者のうちは音が出ること自体が楽しくて、
弾けるようになってくれば曲を弾くこと自体に楽しみを覚えて、
もっと上手くなれば音の表現に楽しみを覚えていくのが一般的だと思う。

そんな感じで、ものごとの楽しみ方はレベルに応じて変化していく。
そしてそのレベルが上がるにつれ、
一般人には理解できない楽しみへと変わっていくのだと思う。

多分ここに、プロのアスリートの言葉を理解できない理由があったりするのだろう。

多分イチローも、僕らから見れば理解できない次元で、
野球と楽しんでいるんだと思う。
でも僕らには、僕らが一般人過ぎて、彼の楽しみ方が理解できない。
だからこそ彼に対して畏敬の念を抱くのかなと思う。

そうやって考えてみれば、人間は何に対しても楽しみを見いだすことが可能なのかもしれない。

上記を前提にするなら、こんなこともいえると思う。

ものごとが楽しくないと感じるときは、
自分にあったレベルでものごとに取り組んでいない時なんじゃないかなということだ。

例えば、難しすぎる勉強は楽しくないし、簡単すぎるものはつまらない。
こんな感じで、レベルに合わないことをすると楽しみを感じることができないように思う。

何故こんなことを急に書いたかといえば、
それは、今、僕の人生があまり楽しくないと感じているからである。

なんというか、自分の能力を活かしきれていない。
スペックが余っているという感覚が近い。

大学が休みになって、自分の好きなことばかりやっている。
だけど、どこかものたりない。

毎日終電まで残って作業をしていた日々の方が、
体力的な面は別にしても楽しかったかもしれない。

ここへきてまさかの感覚なんだが、
もしかすると仕事をしてみたいのかもしれない。

学生というレベルでは人生を楽しめなくなって、
社会人というレベルを求めているのかもしれないと何となく思った。

まあ多分、社会人になったらなったで、
急にレベルが上がりすぎて、つまらないって感じるんだろうけど。

でも、その先を知っているから、
なんやかんやで適当にやっているのかなと来年の自分を想像する。
[PR]
by pyababy | 2010-02-22 00:50 |

頭がよいということ。

頭がよいというのは、時に不幸だと思ったりする。
正確に言えば、中途半端に頭がよい場合に限るのだが。

頭が悪いうちは、世の中の素朴な疑問に気付かない。
頭が中途半端によくなると、それらに気付いてしまう。
本当に頭がよければ、気付いたそれらに対処ができる。

抽象的だけど、そんなことを何となく感じる。

僕は自分でいうのも何だが、中途半端に頭がよい。
それゆえに、本来ならば考えなくてもよいことまで考えてしまう。

自分の周りに生きる人間も、多くの人が中途半端な頭の良さを持つ。
それゆえに、同様の悩みをどこかしら抱えている。

何故?と問うことから学問は始まるのだろうが、
それらに気付かないという幸せが欲しくなるときがある。
[PR]
by pyababy | 2010-02-22 00:29 |

しゃべれどもしゃべれども

しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)

佐藤 多佳子 / 新潮社



『一瞬の風になれ』で好きになった佐藤多佳子さんの本。

落語家の三つ葉と、
人前で話すことが苦手な黒猫こと十河五月、
吃音に悩むテニスコーチの良、
面と向かってでしか意見を言えない元プロ野球選手の湯河原、
関東に馴染めない関西出身の小学生村林という、
個性豊かな5人が繰り広げる言葉と心を巡る物語。

落語家が主人公というのも斬新だが、
文体もどことなく落語調になっていて日本語的にも面白い。

歯切れの良い言葉と、ちょっと皮肉の混じった言葉が、
内容の面白さを更に引き出している。

小説のテーマも僕としては好きなものであった。
伝えたい思いを伝えられない人が、それをどう乗り越えるかといったものである。

様々な理由から伝わらない思いを持つ5人が、
落語を通じて思いを伝えられるようになる過程が秀逸であった。

不器用で時代錯誤な主人公の心にやきもきしつつも、
どこか昔懐かしい古き良き時代の日本のような人たちの話に、胸がほっこりした。
[PR]
by pyababy | 2010-02-20 00:25 |

マリ&フィフィの虐殺ソングブック

マリ&フィフィの虐殺ソングブック (河出文庫―文芸コレクション)

中原 昌也 / 河出書房新社



中原昌也の才能には嫉妬すら感じない。
圧倒的な才能を目の前にすると、立ち向かう気力すら感じず、信仰心すら芽生える。

彼が書く小説は、醜く、汚い。
だけれども、これは彼にしか書けない小説だと感じる。

ここまで人を不快にさせる文章を書くのは、
人を感動させる名文を書くより難しいと僕は思う。

そんな彼が書く小説が、相変わらず僕は好きである。

他の小説家が左脳で書くとするならば、
中原昌也は右脳で書く作家なのだろう。

論理性のかけらもない作品が、
一点の結論に集約していく姿は芸術の域にある。

褒めてばかりだが、それ以上の言葉が特に見つからないだけである。

世間じゃ受け入れられなさ過ぎてあれだけど。。
[PR]
by pyababy | 2010-02-19 23:49 |

戦略パワー・プロフェッショナル

戦略パワー・プロフェッショナル

齋藤 嘉則 / ファーストプレス



問題解決プロフェッショナルでおなじみの齋藤 嘉則さんの本。

本書は、①フレーム力 ②コンセプト力 ③ロジック力 ④ポジショニング力
という4つの観点から、ものごとを深く考えるための「考え方」の部分を述べた本である。

基本的にはロジカルシンキングの本なんだけれども、
基礎というよりはちょっと応用が入ったくらいの構成になっている。

内容的には上記4つの力の使用例が具体的な企業のケースと共に解説されていて、
1つの読み物としても面白く読める内容になっていた。

ターゲットを絞り、ターゲットに対するコンセプトを決め、
コンセプトを元にした特徴を生み出し、
特徴から生まれる価値を見いだし、
その価値がターゲットに向かっているのか否かをロジカルに検討すればいい!!
ってことが全般的に述べられている。

こんな感じのことを考えることが中心なら、仕事も楽しいんだろうなと思うのと同時に、
この程度のことすら考えない企業のTOPがいたりするという事実が驚きだった。

何をしていても勝てた時代のコンサルタントってぼろ儲けだったんだろうなと思う。
今の時代のコンサルタントは、クライアントにもなまじ知識があって、
競合企業にもそれなりの事業戦略があるだけに、
生半可なことじゃ何も課題解決ができないんだろうなと思ったりもした。

30年前に生まれたら、人生楽しいんだろうなとなんとなく感じてしまう。

まあ、僕は今みたいな時代(絶対的な正しさの基準が存在しない時代)が、
向いていたりするんだろうけどね。
[PR]
by pyababy | 2010-02-19 23:30 |

見えない誰かと

見えない誰かと

瀬尾 まいこ / 祥伝社


ありがとう、さようなら (ダ・ヴィンチ ブックス)

瀬尾 まいこ / メディアファクトリー





好きな作家である瀬尾まいこさんのエッセイ集。

こっちか。
と、読みながら思った。
彼女の本領が発揮されるのは、どうもエッセイらしい。

小説ももちろん面白いのだけれども、
彼女の日常生活を彼女の視点で綴るエッセイはもっと面白かった。

つい2冊目も買ってしまった。

彼女の書く小説の原点は、全て学校にあるのだなということを再認識した。
『図書館の神様』に出てくる彼も、モデルがいたりするそうだ。
そんなこんなで小説と微妙にリンクしているエッセイだから、面白いのかも知れない。

瀬尾さんが担任をしている生徒たちが、羨ましいなーと思う。
[PR]
by pyababy | 2010-02-19 23:17 |

まほろ駅前多田便利軒

まほろ駅前多田便利軒

三浦 しをん / 文藝春秋



『風が強く吹いている』が面白かったので、
三浦しをん氏の別の本も読んでみたくなり購入。

何でも屋を営む多田と、多田の高校の同級生行天が繰り広げる、
ちょっとぶっとんだ、だけれどもちょっと切ない物語。

多田も行天も、他に身寄りのない独り身である。
それゆえに、2人とも帰る場所がない。

そんな孤独な2人だからこそ、
いびつながらもどこか良いコンビとして活躍していく。

話の設定が面白く、すっきりとした内容になっている。

ただ、『風が強く吹いている』のような、意志の強さは感じられない。
それゆえに娯楽小説としては一級品だが、
名作か?と聞かれるとそうでもないといった作品であった。

とはいえ、面白いことには変わりはなく、後何作か読んでみたい作家である。
[PR]
by pyababy | 2010-02-19 23:06 | 日常