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考えすぎか
つい深く考えてしまう。
多分考えなくてもいいことをひたすら考えてる。 考えても考えなくても結果は変わらないものばかり。 考えなくていい場合の割り切りというのがどうも苦手だ。 そういや最近赤松啓介の本をダラダラ読んでるんだけど、 何であの人って結論が常に一緒なんだろうなーと。 結論というか論の進め方から全てが。 柳田のアンチとしての役割は果たせてるとは思うんだけど、 常に同じ視点同じ問題の掘り起こしなだけでそこに新しさがないのがなあ。 まあ民俗学という学問上しょうがない部分はあるんだけど、 新しい考察なり現代との比較なりが欲しいなと読んでて思うわけです。 でも僕が文章書くときも大体同じような結論を書いたりしちゃいます。 多分頭の隅っこでずっと考え続けていることが、 文章書いているうちに勝手に出て行っちゃうんだと思ったりします。 こうなんていうんだろ。 自分の文章読み返すと、精神状態とかがわかるんだよね。 文章を書いていることで思い返されることもあるとは思うけど、 それ以上に文章に気持ちが表れてるんだと思う。 僕がよい本だと思うものとかは、その気持ちがすごく強く感じられる。 気持ちをだしながらも文体は綺麗なままという文章が理想かも。 まあそんなこと考えてないで、試験に向けて何かしますかねへへ。。 #
by pyababy
| 2008-01-20 23:18
| 日常
センターしけん
学校に試験を受けに行ったら、高校生がいっぱいいて何事かと思いきや、今日はセンター試験の日だったみたいです。校門の前に高校の旗を立ててるいかついおっさんがいて、今日はなんかの試合でもあるなら見に行こうかと思ってたのに。
とまあ結構みんな真剣な顔してて、俺ら大学生がこんなに適当な生活(歩き煙草とかいちゃいちゃとか)してるのが申し訳なく感じました。 というか、センター試験の日ぐらい学校閉じろよと。 明らか邪魔やん俺らって思ってました。 僕はセンター試験とかを受けてないので、正直受けてみたいんですよね。 自分がどれだけ取れるのかを試したいし、ただ単に思い出になりそうだから。 多分今受けても、相当酷い点数しかとれないんだろうなってのは想像つくけど。 受験って案外大事だなってのは身に染みて感じてた知ります。 ただの丸暗記に近いだろうけど、やってるとやってないのじゃ差がすごい。 無理矢理にでも覚えた記憶は案外残ってるみたい。 そして何よりも、勉強とはいえ必死にやったってのが大事だなと。 僕も部活なりなんなりに真面目に打ち込んだけど、人生かかってたわけじゃないから、やっぱり少しは手を抜いた部分があった。手を抜いてもあくまで困るのは自分ってのも理解してたから、そこで妥協しちゃうことがあった。 部活と受験の違いは、困る質の違いだと思う。 勉強なんてやれば出来るのは当然だと思ってる。 あれほど才能のいらないものはないと。 バカといわれてるやつはただ単に何もしてこなかっただけ。 バカでも詰めれば勝手に伸びる。 勉強してるやつは出来て当然。 だから、誰でも出来る。 だけどやらなきゃできない。 そしてやらないと圧倒的に困る。 ある人は1年を棒にするし、ある人はその後の4年間、そしてそのあとの人生の大半を思っていた生活とはまったく違うものにしてしまう。 部活は正直、自分の思い出を削るだけ。 むしろさぼったこと、妥協したことすら思い出に出来る。 だから僕はそんな人生を賭けることみたいなものに、打ち込んでみたかった。 こう書いてみたら大げさに聞こえるけど、事実そうだと思っちゃうんだよね。 後からのプラン変更なんていくらでも出来るけど、やっぱりある程度は決まっちゃう。 こんな受験が人生を決めるみたいな考えとかはすごく嫌いなんだけど、日本の現状を見ているとそんな気がしてならなかったりする。 レールに乗った人生。 これが悪いものであるかのように語られているけど僕はそうは思わない。 今ある幸せというものを掴むためには、間違いなくそれが近道になってる。 その手段としての受験というものも、案外悪くないと思う。 ただレールに乗らないと幸せになれないという社会は好きじゃない。 #
by pyababy
| 2008-01-20 00:43
| 日常
若いことの可能性
家庭教師先の中学生が英検三級を受けるとかで、その対策なんかをやってました。
いくら英語が苦手な僕とはいえども、さすがに三級なら問題ないみたいです。 とまあリーディング問題はそれなりにできるみたいなので、リスニングをやってました。 昔はハッキリ聞き取れて無くて、絵とか聞こえた単語から想像して答えを出してたんだけど、改めて聞いてみると普通に全部聞き取れて自分でびっくりしてました。 まあさすがに中卒程度の問題なので聞き取れて当然といえば当然なんだけど、英語って英語力の伸びというものを肌で感じる機会が少ないから、伸びたなーと実感すると嬉しいというかなんというか。 正直なところ高校時代に英語をまったくやらなかったから、今すごく後悔してる。 大学受験してないのもあって単語力もあまりにも低いし。 そんな自分を知ってるだけに、教えてる子をみてると羨ましく感じる。 あの子の場合だとまだまだ伸びる余地がいくらでもあるし、なんやかんやで勉強のコツなり適切な方法を知っている僕が近くにいる。その状況で普通にやっていけば、それなりの力がつくだろうことが目に見えてわかるから、これからの可能性というものがいくらでも感じられて、そこに嫉妬してしまう。 僕もまだまだ若い。 だけれども、時期というものがある。 今じゃ遅い時期に、過去に必要だった技術を持っている。 そこがすごく悔やまれる。 多分だけど僕らがするべきことってのは、未来であり希望である次の命に、それらの情報を伝えていくことなんだろうね。 僕らに出来なかったことを彼らには出来るようにする。 過度な期待がかかってしまうけれども、そうやって今までも発展してきたんだしね。 だとしたら、何かを伝えるためにも僕ら自身の成長も欠かせない。 僕が生きる意味ってのも、案外そんなところにあるのかもしれない。 #
by pyababy
| 2008-01-18 23:09
| 日常
変える心と変わった都市
だんだんと薄れていく記憶を呼び起こす日がある。
忘れてしまいかけたことを、繋ぎとめておく日が。 1月17日が、だんだんと薄まっていく。 強く残った記憶は新しい記憶に塗り替えられて、 弱く残った記憶は思い出すことすら難しくなった。 だけど当時の僕に印象的だったものは、今でも鮮明に思い出せる。 たまに、当時通った道を歩くことがある。 だけど、そこが本当にそこだったのか、思い出せなくなる。 僕らの記憶とは正反対に、写真に写る景色は年々濃くなっていく。 本当にあんな状況になったのかということすら疑うくらいに。 多分こうやって一年に一回でも思い出す日がないと、本当に忘れてしまうんだと思う。 だけどこの日があるから、ずっと覚えていける。 過去の悲惨な記憶が全て塗り変わっても、忘れちゃいけないことがある。 そんなことを改めて思い直す日が、僕にとっての1月17日。 6歳だった僕は、多分ことの悲惨さを理解していなかった。 19歳の僕なら、さすがに理解はできる。 今同じことが起きたなら、僕に何かが出来ただろうか。 当時の人たちがボランティアで集まってくれたように、僕も何かが出来たのだろうか。 どうなるかはわからないけど、多分僕の価値観を全て変えることになっただろう。 ある意味6歳で何も理解できなかったことが幸いだったのか、不幸だったのか。 不謹慎ながらもそんなことを思ってしまった。 13年前の今日は、寒い日だった。 今年一番の寒さが、そんな記憶を思い出させた。 13年前の今日に亡くなった人が、幸せでありますように。 #
by pyababy
| 2008-01-17 23:48
| 日常
過ぎてしまったことを悔やむ
あのときこうしていればよかった。
もっと別の方法があったはず。 そんなことばかり日々考えてしまう。 あのときの自分は、何やってたんだろうと。 そんなときの僕の思考は過去にしか存在しない。 今を生きているはずが過去を思い返し、過去のifしか考えていない。 もちろん過去を変えることができるはずもなく、今は何も変わらない。 こうやって変えられることのできないものを考える時間をバカみたいに感じる。 その行動が何も生まないのに、未来の自分を何も変えるわけでもないのに、 過去に起こったことばかりを追いかけてしまう。 もちろんその過去を反省することを考えれば、意味のある行動ではある。 だけど、僕のしていることは反省ではなくて、今から目をそらし、 今を作った過去を無いものとすることで今から逃げているだけ。 それがわかっていても今と向き合いたくない。 多分、今の僕と過去の僕が同じ選択をしたら、 今の僕の方がよりベストに近い答えを選ぶだろう。 過去に行ってきた無駄な行為の積み重ねにより、 今をどうやって過ごせばいいかがわかってきているからだ。 そんなことは、書くだけなら僕にだって出来る。 人に対して言うだけなら、僕にだって出来る。 人に対してさも自分がそれらを出来ているようにアドバイスをしている自分が、 すごく嫌いだ。 そしてその出来もしない答えを感謝されることで、頼られていると感じてしまう自分が、 どうしようもなく嫌いだ。 感謝されることなんてしてないのに、その状況を嬉しがっている自分が許せなくなる。 こうやってまた過去をみてしまう自分を、どうやっても止められない。 目は先を見ているはずなのに、進まない過去しか見えていない。 #
by pyababy
| 2008-01-16 22:57
| 日常
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