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コンピュータのように考える。今年読んだ中だと、間違いなく一番面白い。 面白かったから、珍しくすごくゆっくり読んだ。 自分の知識の整理もかねて、内容を軽くまとめていく。 インターネットの発展は、何をもたらすのだろうか。 そのことについて、インフラ整備の視点と、ユーザー側の視点から書かれている。 インターネットの発展の先にあるものを、過去との比較から導き出す。 比較対象は、発電機である。 まず、人間は動力として水力を使うことを思いついた。 水の力によってそれまでは人の労力だけで行っていたものを、ある程度人の手を使わずに行うことができるようになった。しかし、水力には問題があった。川の近くでしか使うことができないという問題点であった。 それを解決したのが、発電機だったといえる。 発電機があれば、川の近くでなくとも工場を造ることができるようになった。それは工場の数を増やすことに貢献し、機械工業の発展を生み出した。しかし当時は電機を作ったとしても、送電する仕組みがなかった。つまり、作られた電機はその場で使うしかなかった。それゆえに工場は独自の発電システムをもち、現在のような発電所というものは存在しなかった。 しかし、技術の進歩によって、遠くの地域まで電気を送ることができるようになった。 蒸気タービンによる発電と、交流電流としての電力分配である。これにより、大型発電所においては電機を安価に作ることが可能になり、遠くの町まで電気を送ることが可能となった。これが生み出したものが、中央発電所である。工場独自に電気を作るよりも安価に電気を買うことができるようになったのである。それゆえに、発電機に使う資本を他の生産的な目的に使うことが可能となり、より大きな産業の発展を生んだのである。 20世紀が始まると、コンピューティングの基礎がうまれることとなった。 所謂パンチカードタビュレータである。当初は馬鹿にされたこの技術も、なくてはならないものへと変わっていく。その天気となったものが、IBMが生み出した航空機の発券システムである。人間が行う場合と比べて、何倍もの効率化を生み出したこの機械は、他の同業者も憧れ、使わざるを得ないものとなったのである。 この頃のコンピュータは、あくまで組織の中にしか存在していなかった。 高価であり、特殊な用途にしか用いることができなかったからである。しかし、技術の進歩により小型化が進み、一般社員においてもコンピュータを使うことができるようになったのが1970年代初頭であった。 やがて一人の天才が生まれる。これがビルゲイツであった。 彼は、メインフレーム型といわれた上記のシステムを脱却し、クライアント/サーバーコンピューティングを確立していった。すなわち、個々の社員は自分のパソコンでそれぞれの作業を行い、それを会社のサーバーつなぐといった仕組みを作ったのである。 しかしこれだけでは、今のような発展には繋がらなかった。 すなわち上記のスタイルでは、自社のローカルネットワークに接続したときのみでしか、コンピューティングの利益を得ることができなかったのである。 回線速度が遅かった時代には、それが限界であった。 情報の共有は企業内でしかできず、それ以上の発展は見込めなかった。 だが、時代が変わった。光ファイバー網が引かれていったのである。 これは新しいコンピューティングのスタイルを生み出すこととなる。すなわち、コンピューターがどこにあるかは関係なく、つながれているもの全てが、一つのマシンとして機能するようになったのである。これが、ユーティリティの時代である。 このことはさらに、大きな変化をもたらすことになる。 それまではハードウェアを買い、ソフトウェアをそろえることでしかコンピューティングによる利益を享受することができなかったが、インターネットの発展により、ソフトウェアはどこででも入手することが可能となり、ハードウェアのスペックについても高いスペックである必要がなくなるのである。すなわち、サーバー上で全ての処理を行えばよく、個人のPCはサーバーにつなぐための箱にすぎなくなるのである。 例えば、今僕が書いているこのBlogもその一例である。 htmlでのHP作成を、Blogというシステムが代わりに行っている。僕が行うことは、ブラウザから文字を打ち込むだけ。後の操作は全てサーバーが行い、自分が何もしなくともHPが出来上がる。このような特別なソフトを必要としていた操作を、ネットにつなぐだけで行えるようになったのである。 これが、一つの革命であったといえよう。 ここまでが前半の内容である。 後半に移る前に、ユーザーの変化について少し述べられている。 機械は人間をどのように変えたかという話である。 機械化が進み、人間が直接手を下すべき労働は減ったことは事実であろう。しかしそのこと自体が、人間の働く量を減らすには至っていない。機械化された世界では、熟練工から仕事を奪ったものの、知的労働者と多くの単純労働者を生み出したのである。さらには、便利になったからこそ必要になるものが生まれた新しい需要により、人の働く量は変わらなかった。このことは主婦の労働時間から見ることができる。過去には週に一度の洗濯や掃除が、一日一度になり、機械化によって短縮されるはずの労働時間は、結果として変化しなかったのである。そして地域の助け合いで行っていた作業を一人で行うことができるようになったために、主婦の孤立化を招いたのも機械化であったとみることもできる。 そして後半に移っていく。 インターネットの発展により、一人の力が大きな影響力を持つようになった。 youtubeがたった二人から始まったように、ネットを使うことによって人数の壁を乗り越えていったのである。これは別の側面を持つ。すなわち、労働力としての人間の力がどんどん必要とされなくなっていくという面である。 また、企業において、情報関連の投資が莫大に増加していった。 情報が企業に与える影響も大きく、情報網を配備することがよりいっそう大切になった。これは従業員の管理においても、顧客の管理においてもである。 インターネット事業者は、顧客の情報を事細かに集めることができる。 そしてそれをもとに、顧客に応じたマーケティングを行うことができる。もっといえば、匿名であるはずのインターネットにおいても、それらの情報を分析するだけで個人の特定が容易に可能となった。すなわち、個人は否応なしに誰かに監視され、誰かの意のままに動かされているといえなくもない状況が生まれたのである。ネットワークの管理者は、容易に情報操作をすることができる。それによって、一般人をあるがままに誘導することも可能となる。 このコンピューターの発展は、どこまで行くのか。 自分で記憶するよりも、ググる方が早い時代に、人類はどうなるのか。 現在のシステムは、ググることを促進しているといってもいい。ウェブは我々の行動から学習し、より多くの発展を遂げていくからである。我々が考えることを求めているのではなく、我々が数多くのリンクをつなげていくことを求めているのである。すなわち、「インターネットの能力、範囲および有効性の拡大がもたらした最も革命的な結果は、コンピュータが人間のように考え始めることではなく、我々がコンピュータのように考えることなのだ。」と。 電灯が奪ってしまったものは、リアリティであると。 電灯が新しく作り上げたものは、新しい文化であると。 過去の文化は、過去の世代になれば忘れられていく。 そしてそれがなかったのが当たり前になり、あった時代は存在しなかったことになる。 ここまでが軽いまとめである。 相変わらずまとめが下手すぎてイライラする。 とはいえ面白いんだほんとにこれ。 web時代を生きている自分だからこそかもしれないけど、面白い。 ハードウェアが必要なくなる時代とか、確かに容易に想像できる。 インターネットがあれば他の何もいらなくなるのも。 ただ、それがいいのか悪いのかはやっぱり判断できない。 こうやって夜中にパソコンを弄る生活と、 日の出とともに起き、日の入りとともに寝る生活のどちらがいいのかもわからない。 ただ僕は、後者の生活は知らないし、体験したこともない。 僕の中での生活は、電灯がある生活であって、昼夜の区別がない世界である。 こうやって技術が世界を作って行き、正しさを作るのかも知れない。 その可能性が、楽しみであり、同時に恐怖でもある。 自分が考えるより先にコンピュータが検索結果を出す。 そんな世界も理想かも知れないけど、僕はあまり好きじゃない。 webの限界を、人間が決めたいとは勝手ながら思う。 何となく思うけど、インターネットってすごい発明だったんだな。 ある意味世界を一つにまとめあげることができたんだから。 コンピュータと人間が繋がって、それら全てがネットで繋がる。 そして全てが一つのマシンとなって共有される。 その世界を見てみたいが、その世界に生きたくないと思った。
by pyababy
| 2009-02-06 23:26
| 本
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