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気楽に、継続すること。受験指導を行う現役東大生が、勉強する意味を説いた本。 著者も書いているが、強いて言えば人生を楽しむためにすることが勉強だと思う。 勉強することが、可能性を広げていくことは間違いないから。 ただここで問題になるのは、所謂お勉強と、勉強の違いだと思う。 スポーツをすることも、本を読むことも、映画を見ることも僕は勉強だと思う。 それぞれ得るものはあるし、英語や数学とは違った意味がある。 部活で学べる上下関係や、身体を動かす楽しさなんかも、勉強だと思う。 映画を見たときに感動することも、勉強だと思う。 この辺のことは、学校だと何も教えてくれない。 学校や塾で教えてくれることは、どうやって効率よく「お勉強」をするのかと言うことだけ。 そんなモノを知ったところで、楽しいと思える人間はごく少数だろう。 僕自信はその少数派であったように思うが、 教科によっては興味すら湧かなかった。 この辺の問題が出てきた理由は、著者が述べるとおり社会の変化だと思う。 過去には「お勉強」が幸せへと直結していたから。 満たされない時代には、まずは学ぶことが豊へ繋がる道だったから。 でも今はその前提が違う。 既に豊かな状態なのに、なぜそれ以上の状態を求めないといけないのだろうか。 これを求める理由がないのだから、勉強をする理由もみあたらない。 その辺を子供は直感で理解してるから、勉強する意味を問うのだろう。 そして大人は、「お勉強」が幸せへと繋がるという時代に生きてきたからこそ、 勉強する意味という問いに答えられなかったのだろう。 時代が変わり、当たり前のことをするには理由が必要な時代になった。 満たされたが故の問いが、これからもっと増えていくのだろう。 それらの問いに対する自分なりの答えは、常に持ち続けていきたいと思う。
by pyababy
| 2009-04-28 19:36
| 日常
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