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普通であること。
自分が特別という感覚を、僕は持ちたがる人間である。
人と違うことをすることに喜びを見いだし、 同じコトを行うことに苦痛を感じてきた。 そうやって他人と違いを意図的に生み出さなければ、 僕という個人を確立することができないから、そういったあがきをするのだろう。 こんなことを考えるのは、自分だけだと思っていたりした。 でも色々な人と話してみて、自分が大多数の普通の人間であることに気付く。 みんなが同じようなことを同じような時期に考えていて、 同じようなことで悩んで同じようなことで喜んでいた。 彼らも「特別」であろうとし続け、結果として「普通」に生きている。 僕も彼らと同じで、主観的な特別は絶対的な普通でしかなかった。 普通であることが悪癖であるように感じていた時期があった。 でも今は、普通であることは幸せなことだと感じている。 普通の人間であることが、この世の中を一番楽しめる要素だからだ。 世の中の普通の人間を基準として創られた世界故に、 特別であることは世の中に合致せず、生きることを楽しめなくなる。 普通という要素は、世の中を楽しむkeyである。 でも僕は馬鹿でひねくれているので、特別であることを求める。 人生が楽しくなくても、異端でありたい。 こう考えることが普通だとすれば、僕は世の中の普通の人間の代表として生きる。
by pyababy
| 2009-07-01 01:29
| 日常
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