日々垂れ流し。
by pyababy
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なぜ私だけが苦しむのか。

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

H.S. クシュナー / 岩波書店



何故あの人ではなく自分が苦しむのか。
世の中は理不尽であると、日々感じることがある。
しかし理不尽と僕が思ったところで、誰も助けてくれないのが世の中である。
自分の足で歩くしか無く、他人はあくまで杖にしかならない。

そんな当たり前の事実がを知っていたとしても、受け入れることは容易ではない。
自分に降りかかる苦しみが大きければ大きいほど、
現実を直視せず、自分を助けてくれる何かを求めてしまう。

多くの人間はそこで「神」に頼む。
しかし、神は助けてくれない。

「神」は本当にいるのか。そして何故助けてくれないのか。
そんな疑問が頭によぎりつつも、これといった問題解決にはならない。

このような悩みを抱えている人間に対して、
著者なりのメッセージを記したのがこの本である。

著者自身も息子を病気でなくしており、
同じ境遇の人間だからこそ伝えられることが在るという思いのもと記したそうだ。

僕個人としては、神というものは信じていない。
だけど、ゲンは担ぐ。
都合の良いときだけ神を頼るのであった。

だから別に何が起こったとしても神を恨んだりはしないし、
神頼みに失敗したとしても自己責任だと諦めている。

そんな生き方もあるとはいえ、キリスト教圏の人間は多くの場合神を信じている。
そして何かあれば「神のおかげ」という風に考えている。

このような考え方をする人間にとっては、理不尽な不幸というものには、
「神から与えられた課題である」といった理解が通常のようである。

しかしそのような理解は、問題を何も解決しないと著者は述べている。
本当に心が落ち込んでいる人間には、その言葉は無意味であると。
とするならば、神は何のために存在するのかという神の存在意義が、曖昧になる。

そこで著者は1つの答えを導き出す。
「何故苦しまなければならないのか」という問いではなく、
「この苦しみにどのようにして対処したらよいのだろうか」
という問いに変化させるというアプローチである。
そして苦しみに対処するにあたって心の支えとなるものが神であるとの見解を述べる。
ある意味で自分を納得させ、前へ進むために神を使うのである。

全編に渡ってこのような感じのことが書かれている。
神って何だろうとか、何で人は後悔するのだろうとか、
といった問いを考えながら読んでいた。

結局のところ、これらの問題はどうやって理不尽に折り合いを付け、
生きる意欲を湧かせるかという問いに帰結すると思う。

人によってはそれが神であったり、恋人であったり、
自分の中の譲れない何かなんだと思う。

でも、人も、自分も何もかもが信じられなくなったときに、
人間が唯一頼れるものがあるとするならば、それが神なんだと思った。

まとまらない。
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by pyababy | 2009-10-04 02:10 |
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