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本はどう読むか読書論についての本が好きで、見かけると手に取るようにはしている。 本書はその中でも古典にあたる部類の本で、約40年に渡って読み継がれている。 本書の始めに、このような言葉が書かれている。 「読書というのは、面白い本を読むということである。」(p10) これほど明快な読書についての定義を、僕は見たことがなかった。 この言葉を見た瞬間、著者の読書論には確信がもてた。 「私は、読書は薄暗い密室の中の仕事だと信じている。本というのは、人間が密室の中で自分を少しでも高め、少しでも豊かにするための、楽しい相手である、と私は思っている。」(p23) 「人間の意味は、人間の内部に存在するものではない。~~人間の意味は、いつも人間の外部にある。人間の意味は、社会の中にある。」(p48) 「実用書は「生活が強制する本」、娯楽書は「生活から連れ出す本」であるとすれば、教養書は「生活を高める本」である。(p52) 読書という行為もある種の技術であって、習得し、磨くことができるものであると考えている。僕の今あるレベルはどの辺なのかはよくわからないが、一般的に見ればある程度の段階までは達しているのだとは思っている。とはいえ上には上がいるもので、僕にはまだ自分の読書技術を体系的に記すこともできないし(そもそも体系を作れるほどのものをもっていない)、彼らとは程遠い位置にいる。だけれども、僕にとっても読書は面白い本を読むという行為であって、その点においては彼らと同じなのだと思う。人それぞれ色々な読書観があって、それを知ることが今は面白いなと思う。
by pyababy
| 2009-12-03 13:23
| 本
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