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名作の条件。
「意志があること。」
これが僕の考える名作の条件である。 映画でも音楽でも本でも漫画でも、これは何にでも共通するものだと思う。 具体的にどのようなものかと言われると、ちょっと答えにくいのだが、 見た時、聞いた時、読んだ時に肌で感じる「何か」が意志なのだと思っている。 多分それは、制作者にどうしても伝えたい「何か」があるからこそ生まれるものだと思う。 逆に言えば、その「何か」があったからこそ、その作品が生まれるのであろう。 伝えたい「何か」の為に書く本は、どれも名作だと僕は思っている。 でもその名作の中でも序列が生まれるのだが、 その理由は意志の強さというものになるのだと思う。 例えば、太宰治の『人間失格』や、夏目漱石の『こころ』などの古典文学は、 その意志の強さにだれもが心を奪われるからこそ、 多くの人間に名作として読まれ続けているのだと思っている。 僕がその「意志」に気付けるようになったのはつい最近のことである。 色々な作品を読み倒して、自分なりに著者達と議論を交わすうちに、 いつしか彼らが本当に書きたかった「何か」を感じられるようになった。 それと同時に、伝えたい「何か」が存在しない作品もあることを知ることとなった。 「事柄そのもののために書く者と、書くために書く者」 といったのはショペンハウエルであるが、 現代は後者の「書くために書く者」ばかりが溢れているように思う。 最近の小説がつまらなくなっただとか、最近の音楽は聞く価値がないだとか、 そんなことを思ってしまう背景には、目先の利益ばかり考え、 書くために書く者が世の中に溢れ、意志を失った作品ばかりを生み出したことが、 大きな原因なのだろう。 そのような人間が書いたものではなくて、 「事柄そのもののために書く者」が書いた、 「意志」の溢れる作品をもっと読みたいと思う。
by pyababy
| 2010-01-13 23:49
| 日常
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