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日々垂れ流し。
by pyababy


人生のやりがいというものを考える

仕事のやりがいという言葉はよく耳にするのだが、
それより上の概念であるはずの、
人生のやりがいについてはあまり耳にしない。

よく言う言葉で言えば、生き甲斐という言葉になるのだろうけれども、
それとはまた少し違う。

生き甲斐は、生きる目的をさすが、
やりがいは、やったことに対しての自分の満足感などをさす点において、
多少なりとも意味が違うように感じる。


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職場の先輩達と久しぶりに飲みに行ったときにしていた会話が、
僕には別の世界の人間が話す言葉のように聞こえた。

彼らは、「仕事」という狭い世界の中で、満足感を得るために動いている。
僕は、「仕事」という世界ではなく、「生きる」中での満足を得たいと考えている。

多分その部分の前提が違うために、彼らの話の理解は出来ても、
共感ができなかったりした。

仕事をして家を買う。
僕にとって、それは、「たかがそんなこと」でしかない。
大事なことでもないし、目的でも何でもない。

仕事がうまくいく。
これに関しても、正直なところどうでもいい。

顧客に対して不満がある。
僕は、正直なところ何も感じない。

多分、どれもこれも、会社の仕事という他人事の世界だからこそ、
僕にとってはどーでもいいことで、
何も感じないんだと思ったりする。

あまりうまく言語化できないが、
自分が主体でも何でもなく、
自分が頑張ったところで潤うのは会社であって、
自分の行動にはさして意味がないというところが、
僕にとって「会社での仕事」が大きな意味をなさない理由なのだと感じている。

まあこんなことは会社に入る前からわかっていたのだけど、
最近そんなことを身にしみて感じている。

でもそれと同時に、
他人事だからこその楽さに惹かれる部分がある。

無茶したところで困るのは会社だし、
多少失敗したところで僕の人生に大きな影響はない。

だけれども、そんなんでいいのかなと、思ったりする自分がいる。
それであなたは満足なの?と。

そうやって生きることって、自分の嫌いな自分になることじゃないの?と。

なんか答えが出ない。
まだまだ考えるためのパーツが足りない。

僕の人生のやりがいってなんなんだろうな。
もうこれ完全に愚痴になってチラ裏だな。
by pyababy | 2011-05-26 01:06 | 日常
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