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日々垂れ流し。
by pyababy


金の切れ目

金の切れ目が縁の切れ目という言葉。
一般的には「金銭面での利益がもう見込めなくなった時が人間としての付き合いも終わる時だということ。金銭で成り立っている関係は、金銭がなくなれば終わるということ。」とされている。

英語では「The end of money is the end of love. 」というらしい。
付き合うのにはある程度お金がいる、愛情があっても生活苦になるとこれがきっかけで別れることになる、といったことから来ているみたいだ。

つまり、人間と人間のつながりは金銭上の利害損得によって成り立っているものだということ。そしてそのような関係は長続きしないため、本当の人間関係は金銭によるものでなく、お互いの信頼などによって得るべきである、といったことを示している。

でもこの言葉にはもう一つの解釈がある。

金の切れ目で縁が切れる。
すなわち、「他人との縁を切りたいなら、まずは金のけじめを先につけろ」ということ。
金銭関係の問題は長引くことが多いため、その問題を放ったままにしておくと、縁を切るに切れなくなるということからきているそうだ。

前者の説だと、どちらかというと他人と縁を切ることに対して消極的なことば。
後者の説だと、他人と縁を切るための積極的なことばとなっている。

どちらも結果としては同じなんだけど、「金を切る」ことの解釈は違ってくる。
前者は自分や他人の金銭がなくなること、そのことによって縁を切ったり切られたりする。後者は自分と他者とにおける金銭関係がなくなること、そのことによって縁を切ることが可能になる。結果として、縁を切るといった行為は同じになるんだけど、前者の場合は自己利益が得られなくなったために縁を切るということになるが、後者は縁を切るために金銭関係を切るといった風に、過程はまったく別になってくる。

しかし本質的な部分はどちらも同じである。
前者だと、自己の利益のために、利益にならない関係は切り捨てるといったところに本来の目的があるし、後者の場合は自己利益の確保をするために現状の自己の利益にならない関係は早く切り捨てたいといったところに本質がある。つまり両者とも最終的には自己の利益を目的としているということになる。

言葉の解釈、過程は別でも、結果と本質は同じといった風になっている。
結局のところ人間関係というものは、金銭関係抜きには語れないといったことを、この言葉は表しているんじゃないかってことを思ってしまう。やはりそれだけ、金の魅力というものは強く、人間の欲は深いといったことなんだろう。

できることなら、金の関係を抜きにした人間関係を作っていければ幸いだ。


今日は違憲審査論のところ。
風邪っぽくて薬とか飲んでたらぼーっとしてて頭はたらかん。まじふぁっく。
概要把握とか関連項目とか調べてたら時間かなり食ったというか、この問題とか真面目にやったら一生かかるよなーとか思った。学者になりたいわけじゃないから、そこの線引きってのもちゃんとやらんと、それこそ時間無限にあってもたりなくなるから、知識欲を重視するのもいいが、ある程度の線引きはしておこうと思った。

腕立てはしんどくて227回のみ。残り3331回。
by pyababy | 2006-11-20 01:05 | 日常
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