カテゴリ
全体日常 本 転職 未分類 以前の記事
2016年 01月2015年 12月 2015年 04月 2014年 10月 2014年 04月 2013年 12月 2013年 04月 2012年 12月 2012年 01月 2011年 05月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
彼らの教えられなかったこと。
夢と妄想の区別は難しい。
「野球選手になりたい。」このレベルなら夢として存在できるが、「神になりたい。」ここまでくるともはや妄想の域である。だけどどちらも、遠い将来に向けての位置づけというものはかわらない。両者を分ける境としては、実現可能かどうかだと思う。ゆえに時代の変化により妄想が夢に変わり、過去に夢だったものは妄想に変わる。そのために区別はあいまいになり、本来的には別のものであるが、同じもののような錯覚に陥る。 夢と目標の区別も難しい。 そのときの自分ができるかできないかのギリギリのラインを彷徨うものであり、そして自分が夢のためにやらなければいけないことが目標であると思う。しかし夢と目標は、時に同じものとなりうる。夢を手中に捕らえたときの目標は、夢と同一になりうる。そのために両者を混同して考えてしまうことがおこる。そして、本来的には別のものが、同じものであるような錯覚に陥る。 目標と目的の区別も難しい。 目的とは行為の目指すところのものである。ただ、目的達成の手段であったはずの目標を達成することが目的に変わってくる場合がある。やがて目的自体が見失われ、手段が目的に変わり、目標も失われる。これは上記二つと違い、一方が失われるために区別ができなくなる。 夢を持てという無責任な言葉は結局のところ妄想しか生まず、目標を持てという言葉も結局のところ何も生まない。目標のない夢は無意味であり、目的を見失った目標も無意味である。そこを教えようともせず、やみくもに夢だけを追わせて何を得られるのか、相変わらず僕はわからないが、それでもただ夢を持てというオトナ達は消えることはない。 そんな彼らを見てきた僕としては、whyの部分を伝えられる人になりたい。
by pyababy
| 2007-01-02 01:28
| 日常
|