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意味のないことを、伝える
物事の結果だけを知る行為は、無意味に近いと思います。
僕が他人にものごとを教えるときは、相手が結果を導き出すのを手助けできるような方法で教えることを心がけています。結果だけを知ることは、そのものごとの理解に繋がらないことは経験上わかっているからです。もちろん、結果から自力で過程を考えられたり、前提となる知識を知っている人には結果だけを伝えても問題ないんですけどね。 まず結果だけが存在するということはありえないわけで、何かしらの要因があったり、因果関係があったりするのが普通なため、そこを理解していくことが結果を理解することに繋がると僕は思うわけです。 某大臣の「産む機械」発言なんかも、その典型だと思います。 マスコミのフィルタリングによって、その発言のみが取り上げられていますが、普通に話の流れ全体を見てからだと、そこまで問題がある発言ではないように思えます。もちろん、言葉をもう少し選べってことは思いますけどね。 過程と結果が必ずしも正しい方向に繋がっていくとは限らないんですが、結果があるということはそれに対応した何かがあることは事実なので、結果だけでなく何故それが存在するのかと言うところを見ていけば、真実に近づいていくと思ったりします。
by pyababy
| 2007-02-08 00:51
| 日常
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