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日々垂れ流し。
by pyababy


やすみがおわるよ!

長い大学生の夏休みが今日を過ごせば終わりです。
別に夏休みじゃなくても年中休みとかわらんので大差はないのですが。
ただ少し通学がめんどくさいのかな。
講義自体は好きなので特に問題はありません。

休みが長くなると、やることがなくなってきます。
社会人になると多分休みなんてのはとれて週2。
それゆえに休みにかける思いも変わってきて、
趣味やその他の時間に有意義に使うようになるのでしょう。

ですがまあそんな趣味やその他だけで丸2ヶ月も過ごせる人は
まあまずいないでしょう。

サークルや部活なんかで拘束されるというのを除けば、
多分結局のところバイトで時間をつぶしつつ時間をお金に換える作業、
これが大学生の夏休みでは一番多くなるのではないでしょうか。

僕はこれがアホらしく感じるので、休みは休みらしくダラダラします。
遊びに行くときは遊びに行くし、やりたいことをやる。
今年の夏はあんまり本が読めなかったのが悔やまれます。
18冊か。

特に9月に入ってからが読まなかったというか、積み本がなくなったのが怠かったです。
ちょうどブックオフの割引券が入らない時期で、買いに行くのも怠かったです。
そんなこといいつつも文庫本だけで物いれるボックスが埋まりました。
そろそろいらない本を売りに出す時期なのかもしれません。
もう漫画とかCDとかゲームとかも全部売ろうかしら。

でもなんていうか売っても10円とかにしかならないなら、
家に置いておいてもかわらないんじゃないかって思ったりもするわけです。

旅行が嫌いだからあれなんだろうなあ。
旅とか遠くに行くとか、まあ少し楽しそうではあるんだけどな。
やりたいのは何の目的も決めないぶらぶらと、
一週間くらいひたすら駅前に立っての人観察。
この二つは大学生のうちに終わらせたらいいかな。

色々あったようななかったような。
むしろ今年はそんな楽しい思い出よりは、精神的にきつい思い出ばかりです。
精神面でのしんどさの充実度は間違いなく人生TOPです。
だらけた度合いだと5番目くらいでしょうか。

多分今は時間が余っている状態だから、
時間のありがたみがわからないんだと感じます。

ですが余っているといっても暇なわけでもなく、やることはあります。

やることをするときに、自分の性格を把握した上で、最大限の効率を引き出す。
効率を上げるおかげで、趣味じゃないけど遊びの時間が増えました。

正直なところ、忙しいと暇なのって違いがないと思うのです。
忙しい奴は無駄な予定を詰めすぎてる。
暇な奴はやることをみつけきれていない。

どちらもただ単に適正な量が見極められていないだけです。
適度な量を持って生きれば、案外満足した生活が送れるんじゃないでしょうか。

無理はよくないし、挑戦しないのもよくない。
逆をいえば、無理をせずできることに挑戦。
多分理想型がこれなんだろうなあ。

できることを増やしていくうちに、無理なことも無理じゃなくなる。
不可能を可能にすることが人の成長であると、今思ったので書きました。

こうやってダラダラと文章を書くのが僕は好きです。
読んでいる相手は多分この辺まで来たら相当な変人しかいないでしょう。
だけど、こうやって頭の中を空っぽにしてても
指は勝手にキーを叩くし、ことばは次々と出てきます。

もちろん僕の書くことばなんて重さも何もないし、意味も特にありません。
多分指が無意識のうちに僕の感じていること、
誰かに伝えたいと思っていること、
本当はこうやっていきたいっていうことを、勝手に書いているんだと思います。

何かのことばを話すときに、僕はどちらかといえばあまり考えずに話す方です。
話しながら考えることもありますし、前もって準備することもありますが、
とりあえず口が動くままに喋って、タブーを言ったときのみ訂正するという形を使います。

僕の意識で考えた状態で話すと、無駄なことばが増えるし、伝えたいことが消えていくように感じるので、とりあえず口を動かしてみます。

口が動かないときは多分しゃべりたくないかめんどくさいだけです。
僕と一緒にいるときに僕が喋っていなくても、その人が嫌いとかではなくて
ただ喋るのがめんどくさい、あるいは疲れているだけです。

多分この感覚は相手には理解できなくて、
相手にしてみれば無視をされているという一番辛い状態なのでしょう。

それゆえに僕は無言の状態をキープできる友人がすごくほしいです。
何も喋らないことが苦痛じゃない人。
それをすごく大切にしたいと思っています。

休みの間は一人の時間の方が明らかに長かったように思います。
遊びに出ていたといえども週2-3程度ですしね。
バイトを含めたら週4-5は出ていましたけど。

その状態から人と接しなくてはいけない世界に戻るのが、少し億劫です。
人と接するのが嫌いなのではなくて、
人と接しなくてはいけないのが嫌いなのです。

やりたくないことでもやらざるを得ない状況。
それが社会ってものだと思っています。

その点では明らかに社会不適合なのですが、
自分をそこで押し殺すという思想を持つことで適合させて生きていけます。

実際上は、ほとんどの人が社会不適合だと思っていますが。
あんなもの、人間が効率よく動けるための仕組みを作っただけで、
人間の本来の在り方とは違うんだから当たり前です。

人間工学に基づいた物があんまり使いやすくないのと同じです。
社会って枠を作ったら住みやすいと感じるから作っただけで、
実際上の住んでいる人がどう思っているかはそれぞれです。

ただそれにみんなが納得した上で住んでいる、
あるいは一人一人の力じゃどうにもならないレベルの巨大な社会、
そんな風になっているために住みにくい社会から変わることはないのです。

僕が夏休みだった時間。
この時間があれば多分色々なことができたとは思います。

僕がその時間を有効に使えているかと言えば疑問が残りますが、
過ごした時間だけはみんなが一定に持っています。

その時間の中で出来る経験の総量は一定であると僕は考えています。
寝ていようがずっと遊んでいようが働いていようがデートしてようが、
同じ時間だけ異なった経験をしているだけです。

その結果がどう出るのかは人それぞれであって、
目に見えた結果が出る人も言えば、精神という目に見えない結果の人もいます。

それをどう評価するかは自分次第だし、人にとやかく言われることでもありません。
その点で人は平等だと僕は最近は思うようになりました。
時間と経験は平等なんです。
ただその中で何をするかが違うだけです。

どんな人と出会って、どんなことをしてってのが違うだけです。
24時間考え続けている人、サッカーし続けている人、
この両者だと多分頭とサッカー能力に違いがすごくでてきます。

ですが同じ24時間を何かに熱中して過ごしました。
得られた経験は総量は同じだと思います。

ですが価値はどうなのでしょうか。
僕はここで同じだと言いたいのですが、価値ということばには主観が入るので、
やはり同じ物だとは言い難いです。

それゆえに同じ時間を過ごすのであれば、
その時間に価値をもてたのかということが一番大きな物なのじゃないでしょうか。

夏休みの最後にそんなことを思いました。

僕の夏休みには価値があったのでしょうか。
多分その答えが出るのはまだまだ先ですが、
それなりの価値はあったと思います。

自分という人間をどこまで持ち上げられるか。
やるからには、TOPの世界で戦ってみたいですね。
どこまでやれるか、そしてそのなかで勝てるのか。

負ける気はしない。
それだけが僕の確信できる事実です。

こんにちは秋。
外が涼しく、風が心地よくなってきました。

今年の季節はもう二つ終わって、涼しい時間だけが残されました。
暖かい時間に戻るのは一年後。

変わらない季節を余所に、僕はどれだけ成長できるのか。
季節と人間という比較できない物を比較するのも馬鹿らしいのですが、
一定に保たれた季節という物と僕をあえて比べてみたいと思います。
by pyababy | 2007-09-24 02:04 | 日常
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