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何が僕らを生かすのか。
僕たちが持つ疑問のほとんどは、
「何故僕らは生きるのか。」「自分は何なのか。」 といった問いへと抽象化されていくと思っています。 例えば「何でご飯を食べるのか」という問いだとすれば、「何故食べるか」→「腹が減るから」→「何故腹が減るのか」→「生命活動をしているから」→「じゃあ何故生きているのか」といった感じです。 他の問いでもこんな感じで疑問をどんどん繋げていけば、最終的にはほとんどの場合に上記の疑問へと集約されていくように思えます。 僕が今疑問に感じていることは、それ以上の問いはあるのかということです。 ほとんどの人間が結局のところこの同じ問いに悩み、そして答えが出ぬまま死んでいったり、自殺していったりしています。そしてこの答えを出した人が未だに人間の中には存在していないようにも思えます。 結局思い悩んで行き当たる点はそこであって、それ以上の問いに悩んで死んだなんて話は僕の狭い世界じゃ聞いたことがないわけです。 果たしてその問いはあるのかどうかが、すごく気になります。 とある友人に聞いたところ、「ビックバンは何故起こったのか。」なんて答えが返ってきたりしましたが、これは僕の中では「自分は何」という問いに集約されると思っています。 なぜなら、自分は何という問いに完全に答えるためには、この世の全てを知っている必要があって、それを前提とするならビックバンすら理解しているはずだからです。 そんな意味においては、僕が求める問いというものは、 「神は何を疑問に思うのか。」「全知全能の存在に疑問はあるのか。」 といったものになるのかもしれません。 これらの問いは矛盾しているために存在しないように思えますが、それがないのだとするならば、僕らの問いは結局最初にあげたものしか存在しないことになってしまい、それだと長い人生なのになんともつまらいなと。 多分死ねば別の問いが見つけられる気がするんだけど、生きてる間に生という本来的な問い以外を見つけることは難しいのかなあ。 僕らの中で一番中心にあって大切なものが生であるから、それが一番大きな問いになっているんだろうけど、それ以外も何かあればいいなと思うのです。
by pyababy
| 2008-03-22 23:57
| 日常
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