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強運の持ち主

強運の持ち主 (文春文庫)

瀬尾 まいこ / 文藝春秋



元OLの占い師が、自らの直感による占いによって、人びとに気付きを与えていく話。

僕がこれまで読んだ瀬尾まいこの作品とは少し違うように感じた。
感覚的なことになるのだけれども、なんというか荒い。
構成に関してもそうだし、文章に関してもそう。
テクニック的には上手だと思うんだけど、どこか物足りない。
これは完全に僕の感覚だから、実際の所はよくわからないけれども。

話の内容としては相変わらず面白いし、すごく優しい。
占い師という設定も奇抜だし、客からの依頼内容も面白い。
だけれどもほとんどの話のオチが読めてしまうのが残念。

「三千円の価値をどうつけるかはあなたしだいよ。
大事なのは正しく占うことじゃなくて、相手の背中を押すことだから。」

これは主人公の師匠にあたる人間の言葉なのだけれども、すごく気に入った。
価値ってのは誰かが決めることじゃなくて、自分が決めること。

誰かに惑わされるのではなくて、自分で様々なものごとに価値を見いだしさえすれば、
色々なことに迷わなくて、そして気楽に生きられるんだろうなと思う。

多分その価値が分からなくなるときがあるから、僕らは誰かに相談したり、
悩んだり、迷ったりするんだろうなと思う。

そんな人がいたならば、相手の背中を押してあげられる人になれたらいいなと思う。
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by pyababy | 2009-11-26 13:34 |

誰のためのデザイン?

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

ドナルド・A. ノーマン / 新曜社



日常僕たちが使うモノのデザインに関しての本。

デザインというとお洒落な家具なんかを想像してしまったりするのだが、そのようなデザインを対象とした本ではなくて、機能性に関するデザインの本である。例えば、どのようなデザインのテレビのリモコンならば使いやすいのか、といったことについて述べているのである。

本書は常に、デザイナー視点ではなくユーザー視点のデザインを行えといったことを述べている。デザイナーにとっての最高のデザインは、ユーザーにとって使いやすいものであるとは限らないのである。デザインをするならば、誰もが使いやすいものを作るべきで、使いにくいデザインを行うことはデザイナーとしては失格なのである。

また、ヒューマンエラーと思われている多くの事故に関しても、デザインのミスが原因と考えられるモノが多々あるという事実も述べていた。例えば、扱いにくいキー配置を行っているからタイプミスが起こるといった具合である。ヒューマンエラーを減らすためにも、ユーザー中心のデザインを行うことは必須であるとも述べられている。

本書はデザイナーのために書かれているように感じるが、実際はそんなことはない。僕のような一般人にも向けて書かれている。すなわち、デザインを「プレゼン」や「誰かに伝える行為」に置き換えると、本書の内容は最高のアドバイスとなるからだ。

良いデザインをするためにはどうすればいいか。
それは、ユーザー中心のデザインを必死になって考えることである。使う人間がどのようなことを考え、どのように使い、そしてどのようなときに不満を感じるのか。それらを全て考え、ユーザーが不便に思わないようなデザインを行いさえすれば良いのである。


色々気になったところを引用。


「ラベルに頼らないといけないようなデザインは失格である。ラベルは重要で、必要であることも多いけれども、自然な対応づけが適切になされていれば、ラベルはほとんど必要ない。ラベルが必要に思える場面があれば、他にデザインのやりようはないかを考えること。」
使い方を教えなければ分からないようなデザインは失格なのである。これはプレゼンも同様で、新たに説明を加えなければいけないようなプレゼンは行ってはならず、プレゼンターとしては失格なのである。一目見て分かる説明をする。それを心がけたい。


「いついかなるときにも、その時点でどんな行為をすることができるのかを簡単にわかるようにしておくこと。」
「対象を目に見えるようにすること。システムの概念モデルや、他にはどんな行為を行うことができるか、そして、行為の結果なども目に見えるようにすること。」
「システムの現在の状態を評価しやすくしておくこと。」
「意図とその実現に必要な行為の対応関係、行為とその結果起こることとの対応関係、目に見える情報とシステムの状態の解釈の対応関係などにおいて、自然な対応づけを尊重し、それに従うこと。」
「ユーザが何をしたらよいかわかるようにしておくこと、何が起きているのかをユーザにわかるようにしておくこと」

相手が困ることの無いように、今何を行っているのかということを明確にする。
そのためには相手に道筋を示すこと、そして相手に今いる場所を示すことが大切。


「なんらかの技術的な進歩があったとすれば、作業をする際に頭を悩ませることは少なくなる。その一方で、作業を自分でコントロールしたりそれを楽しんだりする余地も残っているのであれば、一般的にどんな進歩であろうと私は歓迎したい。そうなっていれば、作業の本質的な部分、すなわち覚えておかなければならないことや、そもそも何のためにこの計算や音楽演奏をしているのかということに頭を使えるはずだ。私は重要なことに頭を使いたいのであって、細かい仕組みに浪費したいのではない。」

これが一番印象に残った。
僕は常にこんな感じで物事を考えて、生きているからだ。
大切なことに頭を使いたい。それ以外のことは最小限で。

でもなんとなくだけど、今の世の中ってその逆のように見えてしまう。
重要なモノをシステム化して、いらないところを大切だと思っているような感じ。というよりも、重要なモノから目をそらして、必要ないモノ(だけど考えるのは簡単なモノ)を考えることによって、考えているフリをしているのかなと思う。

そういえば僕らは、いつから考えることを捨てちゃったんだろうね。
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by pyababy | 2009-11-26 13:25 |

影響力の法則

影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル

アラン R.コーエン / 税務経理協会



他人を動かすためには、どのようにすれば良いのかといったことを述べている本。
骨子は、相手にとって必要なものを与えさえすれば人は動く、ということであった。

等価交換とでもいうのだろうか。
相手に何かを求めるならば、それ相応の何かを相手に与えなければいけない。これはもちろん人間関係の基本だと思うのだけれども、それを完璧に行えている人間は稀であると思う。その理由は、相手が何を求めているのかという点をしっかりと理解している人間は少ないと思うからだ。

自分にとって大切だと思うものと、相手にとって大切なものは全然違う。
そこを理解せずに、自分中心に物事を考えている限り、相手を動かすことはできない。
ではどのようにして、自分中心ではなく相手にとって必要なものを見つけるのだろうか。
その問いに対する答えを本書では述べている。

でもその骨子も簡単で、相手を観察し、相手を理解するということに尽きるのであった。
本書では様々なケース-上司の動かし方から苦手な部下の扱い方まで-が述べられているが、結局の所、どれも相手を理解するためにはどうしたらよいのかといったことに尽きるのであった。

本書によれば
「影響力を発揮するとは、相手が価値を置くものを提供し、その代わりにこちらが得たいものを得る、つまり価値の交換」である。そしてその価値というものは、「自分が良いと思うものでなく、相手が求める価値を提供」すべきなのである。相手が求める価値を見つけるためには、「相手を理解」すればよい。そしてその結果に基づき、相手の求める何か(自分の持ちうるリソース)を与えるのである。つまり、「人を動かす能力は、相手が求めるリソースを手に入れられるかどうかで基本的には決まる」のである。

自戒を込めて最後に一つ引用する。
「全ての行為は、本人の視点からみれば筋道が通っている。ただし、他者の目からはその筋道が分からないこともある。自己破壊的に見えることすらも、本人にはそれなりの理由があるのだ。」
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by pyababy | 2009-11-26 12:56 |

コンサルタントの道具箱

コンサルタントの道具箱

ジェラルド・M・ワインバーグ / 日経BP社



コンサルタントとして生きてきた著者が、人生の中から得た教訓を纏めた本。

初めのうちは楽しく読めていたが、後半になるにつれて冗長な記述が増え、退屈してしまった。しかしながら内容自体はどれも参考になるものが多く、生きていく上で大切にするべきことが沢山あった。著者は人生をより良く生きるためのツール(コンサルタントとして成功するためのツール)を、虫眼鏡などに例えて述べている。そしてそれらのツール(道具)を纏めたものを、自らの道具箱として描いていた。そのため、自分にはどのような道具があって、そして他人に勧めるならばどのような道具箱を作るのだろうかと行った事を考えながら読んでいた。

色々考えては見たものの、今の自分には結局「眼」しかなかった。
人を見分ける眼、先を読む眼、現在を見る眼。
全てこれに尽きるからだ。

もっと色々なことを経験していく中で、様々な道具を見つけられたらいいなと思う。

最後に一つだけ引用。
「経験は最高の教師かもしれないが、
意識的に取り組まなければ、経験は何も教えてくれない。」(p225)
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by pyababy | 2009-11-26 12:42 |

重力ピエロ。

重力ピエロ

伊坂 幸太郎 / 新潮社



知り合いが読んだらしく、つられて再読。
前読んだのは、多分二年前くらいになるのかなと思う。
あの時感じた伊坂の小説のすごみというものは、
再読した今も色あせていなかった。

重力ピエロは映画も見に行ったんだけど、相変わらず好きな作品だ。
小説としてスタイリッシュなんだけど、どこか人情くさい。
そのギャップに魅力を感じるのかもしれない。

映画はどちらかといえば家族愛が中心に描かれているんだけど、
小説は親殺しの方がメインなのかなと思う。

僕個人としては、映画の方が好きかもしれない。
だけれども、もちろん小説の良さもあるし、
小説から削られてしまった部分も多いので、
どっちが良いかはまた別の話だと思う。

「春が二階から落ちてきた」という冒頭は、
「山椒魚は悲しんだ」「メロスは激怒した」を勿論意識しているわけで、
ラストにも同じ言葉を持ってくるというのも、伊坂ならではだと思う。

同じ言葉を違う場所で使うというシーンがいくつかあるんだけど、
それも勿論狙い澄まされた言葉使いであるため、
伊坂の技巧の深さには驚かざるを得ないと改めて思った。

好きな言葉を引用して終わり。

「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」
「見かけで物事を信じるのは大事なことであるけれど、恥ずかしいことでもある」

なんか最近文章がバラバラすぎる。
頭で考えて書いていないのがもろわかりだな。
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by pyababy | 2009-11-23 01:04 |

君のためなら千回でも

君のためなら千回でも(上巻) (ハヤカワepi文庫)

カーレド・ホッセイニ / 早川書房


君のためなら千回でも(下巻) (ハヤカワepi文庫)

カーレド・ホッセイニ / 早川書房



ページを捲るのが辛かった。
一つひとつの言葉が重たくて、一人ひとりの生き方が凄まじくて。

アフガニスタンに生まれた主人公は、召使いの息子(ハッサン)と一緒に育つ。
しかし主人公は1つの許されない罪を犯し、ハッサンの人生を破壊した。そのことを悔やみ続けた26年の時を経て受けた一本の電話が、主人公を償いの旅へと導いていく。

言葉にするとこれだけの話なのだが、すごく重たかった。

なんか感想が出てこない。
というか言葉にならない。

すぐに謝ればよくても、謝れなくなってしまったことは、今までの人生で沢山あった。
ものごとには適したタイミングというものがあって、それを逸した場合意味が無くなってしまう。そして僕らはそのことを後悔し続けてしまう。主人公も同様の後悔を(僕とは比べものにならないレベルの後悔を)していた。後悔という誰もが経験することを中心に置いているため、主人公に自己を投影して読んでしまっていた。だから主人公が立ち向かうべき場所で逃げたことに関しても理解はできるし、その時の後悔も痛いほど解るし、それなのに罰を受けることさえ許されなかった辛さも痛いほど解った。だからこそ重たくて、そして辛かった。他にも本書では、これでもかというほど辛い出来事が起こる。沢山の人間が死ぬ。人間が死ぬということすら当たり前のことのように感じてしまうほど、沢山の人が。今まで色々な小説を読んできたが、その中でも特異な小説であったことは間違いない。上手いこと言葉で纏められない。

「それでも人生は進むんだ」
なんだかすごく心に残った言葉だった。
辛いことがあっても、どんな後悔があっても、勝手に進んでいく。
そこをどう生きるか、後悔し続けるか、償うのか。

なんかまとまらなさすぎる。
頭で理解する作品じゃなくて、心で理解する作品だから、
まとまらなかったのかもしれない。
ぐだぐだだけど終わる。
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by pyababy | 2009-11-20 02:06 |

知的複眼思考法

知的複眼思考法―誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社プラスアルファ文庫)

苅谷 剛彦 / 講談社



一言でいうならば、多面的に物事を捉えようというのが、本書の肝である。

著者は常識にどっぷり使ったものの見方、考え方を「単眼思考」とよんでいる。それに対して、ありきたりの常識や紋切り型の考え方にとらわれずに物事を考えて行く方法を「知的複眼思考法」と呼んでいる。この後者の考え方を身につけるためにはどうしたらいいのか、といったことを中心に書かれている。普通のHow to本とは違い、あくまでも考え方を中心に述べられていた。

今の僕にとっては、さして真新しい内容はなかった。
というのも、僕の先生から受けた教えが、まるまる本書の内容と被っていたからだ。先生は常に、「何故?」「どうして?」「何が問題なの?」「何故それが問題になったの?」ということを僕に問いかけていた。それらに必死で答えるうちに、自然とそれらを含めてものごとを考えるようになった。また、「何故?」という問いを繰り返すことによって、自然と一方的なものの見方ではなく、複眼的なものの見方を得ることができるようになっていた。

時には嫌々ながらも受けた教えは、僕の実になっている。
先生から教わったこと(多分正確には学んだことなんだけど)は、きっとすごく大切なことで、あの人なりに伝えたかったことなのかもしれない。考え方を教えるという一番難しい行為をさりげなくやってのけたあの人は、実はすごい人なのかと思いながらも、相変わらずその他の行動が酷すぎることもあり、素直に認められないのが残念である。

閑話休題。

本書は基本的に、思考法の教科書といった体裁をとっている。
そのため、僕のようにたまたま先生に恵まれたような人間でなくとも、知的複眼思考法を手に入れることができるような内容となっている。僕としても今まで教わってきたことが体系的にまとまっている本書を読めたことは収穫であった。知的複眼思考法と書くとややこしくなるが、ニアリイコール論理的思考で間違いないと思う。

これらの考え方はできるだけ早い段階でマスターしたいものであり、これから大学に入る人や、大学一回生の後輩なんかにオススメしたい本であった。
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by pyababy | 2009-11-20 01:37 |

病院で死ぬということ

病院で死ぬということ (文春文庫)

山崎 章郎 / 文藝春秋



こちらも「死」繋がり。

医者である著者が、命を長引かせるだけの治療に疑問を抱き、
患者が安らかに死んでいける場(ホスピス)が必要であるといったことを述べた本。

本書では著者が経験した医療現場での話を短編小説風に綴ってある。それらは患者側から見れば気に障る文章でありながらも、多分きっと病院での事実を記しているのだと思う。本書が書かれたのは10年以上も前になるのだけれども、それでも多分今もさして変わらない現実があるのだとは思う。一つひとつの話には、著者なりのメッセージが込められていた。

生命が維持されるということと、生きるということは、必ずしもイコールではないのだと思う。生命が維持されるということは、心臓が動き、かつ、脳が活動してあることというのが現在の定義になるのだろうか。多分そこには、活動という意味においての生は存在していないのだと思う。

生きるということは、活動することだと僕は考えている。
人と話したり、何かを自分で作ったり、頭を使って考えたり。そんな一つひとつの行為を行うこと、すなわち活動することが、生きるということなのだと思っている。

それゆえに、ただ生命が維持されているだけの状況は、僕にとっての生ではない。だからといって何があるわけでもないのだが、僕はそのような状況になったのならばすぐに死にたいと今は考えている。そのような状況になったのならば、考え方が変わるかもしれないが、少なくとも今は、生きられなくなったら死にたいと思っている。それが僕の生に関してのプライドでもあるから。

僕の考える生に反して、医者や多くの人間は、生命を維持することに重きを置くみたいだ。実際の所はどうなのかわからない。医者の中にも色々な人がいるし、多分彼らは僕よりずっと頭の良い人間で、そんなことは考えつくした上で、自分の仕事としての生命維持をしているのだと思うけれども。だとしても、それが万人にとって必要な行為なのかはわからない。

かといって一さいの延命治療をしないというのも、医者の役割として問題があるようにも思える。多分そこら辺のジレンマと闘いながら、治療をしているのかな。

本書を読みながら、上記のようなことをだらだらと考えていた。
安楽死や尊厳死やホスピスといったものの裏にある一番大きな問題は、個人個人によって死生観がまったく違うということに尽きるのだと思う。諸外国のように1つの宗教が強大な力を持っていたならば、ある程度統一された死生観を持つことは可能だとは思うのだけれども、無宗教に近い日本においては、本当にばらばらな死生観であると感じている。それゆえに、僕らを治療する側にとっては様々な悩みが存在して、延命治療の是非といった問題を考えざるを得ないのだろう。

まあそもそもの、生きることが素晴らしいという前提が、
万人にとって正しいのかも僕には解らない。

色々考え出すと解らないことだらけになったので終わる。

死ぬということについて、改めて様々な視点から考えさせられた良書であった。
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by pyababy | 2009-11-20 01:21 |

遺品整理屋は見た!

遺品整理屋は見た!

吉田 太一 / 扶桑社



遺品整理を生業とする著者が経験した、人の死の現場を語った本。

自分の知らない世界を生きる人間に興味があったことと、死というものをテーマとして今年は本を読んでいるため、気になっていた本であった。内容自体は、本当に自分の知らない世界ばかりで驚いた。知らない世界なんだけど、実はすぐ隣で起こっていてもおかしくないような話なのだけれども。

46編からなる話で構成される本書は、死ぬということ、特に、自分が死んだ後どうなるのかといったことを幾度となく考えさせた。本書には、孤独死した老人や、僕と同じような年齢で孤独死した人間の話が出てくる。彼らの死に方を見ると、自分とは全く関係ない人間の死のはずなのに、何故だか心が痛くなった。何故彼らは一人で死んで、その処理すら疎まれながら行われなければならなかったのだろうかと。人との繋がりが希薄であるといった陳腐な言葉では片付けられないほどの、彼らには変えることのできなかった現実がそこにはあったのだと思う。

自分が死んだ後の処理ってどうなるんだろう。
そんな素朴な疑問を考えていると、死ぬことを考えていたはずなのに、生きることを考え出す自分がいることに気がつく。綺麗な死を迎えるためには、そして残された人たちにとっても綺麗な死を迎えるためには、今の自分には何ができて、何をしなければいけないのか。そんなことを考えてしまうからだ。生きるということと死ぬということは繋がっていて、両方を理解して初めて生きるということに専念できるのだと思う。
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by pyababy | 2009-11-20 01:02 |

天国はまだ遠く

天国はまだ遠く (新潮文庫)

瀬尾 まいこ / 新潮社



またまた瀬尾まいこ。

この作品は今まで読んだものと違い、家族愛とかについてではなく、
自分の居場所はどこなのか?ということが主題の作品であった。

相変わらずの瀬尾節というか、彼女独特の優しさと暖かみに溢れた文章は、
相変わらず僕にとっては心地よかった。

主人公である女性は、自殺をするために、自分の勤めていた会社を辞め、北に向かう。たどり着いた地の民宿で、睡眠薬の多量摂取による自殺を行うが失敗し、少しの期間その民宿で生活を行うこととなる。そしてその地での出会いや生活が、次第に彼女の心を癒していくといった話であった。

かなり田舎の土地が舞台になっているんだけど、
ただの文章で描かれているだけの土地が、すごく羨ましく思えた。

今の自分の生きる日常との違いというか、
デジタルな世界とアナログな世界の差というか、
そんな感じの非日常の世界が、僕にとっては新鮮で羨ましかった。

主人公である彼女もその地を気に入り、
そこでの生活を続けることを考えたりするのだが、
彼女自身の心がそれを否定する。

「たくさんのすてきなものに囲まれている。でも、寂しかった。すてきなものがいくらたくさんあっても、ここには自分の居場所がない。するべきことがここにはない。だから悲しかった。」(p157)

「都会に戻ったからって、するべきことがあるわけじゃない。やりたいこともない。存在の意義なんて結局どこへ行ったって、わからないかもしれない。けれど、それに近付こうとしないといけない気はする。ここで暮らすのは、たぶん違う。ここには私の日常はない。ここにいてはだめなのだ。」(p169)

「ここから抜け出すのにはパワーがいる。だけど、気づいたのなら行かなくてはいけない。今行かないと、また決心が緩む。そして、私はやるべきことがないのを知りながら、ここでただ生きるだけに時間を使うことになってしまう。それは心地よいけど、だめだ。温かい所にいてはだめだ。私はまだ若い。この地で悟るのはまだ早い。私は私の日常をちゃんと作っていかなくちゃいけない。まだ、何かをしなくちゃいけない。もう休むのはおしまいだ。」(p170)

多分居場所があるってことは、人間にとってすごく大切なことなんだと思う。
家があって家族がいるっていうのかな。よくわからないけど。

よく考えてみれば、人間って自分の居場所を作るために生きてるんだなと思う。
結婚することもそうだし、彼女を作ることもそう。
学校に入ることもサークルに入ることも、会社に入ることも、会社を興すこともそう。

全てのことは自分の居場所を作るためにあって、
最高に心地よい自分の居場所ができるということが、
人生の中でもっとも大切なものなのかなと思う。

でもこの自分の心地よい居場所っていうのは、常に変化していってて、
だからこそ僕らは常にそれを手に入れることができなくて、
日々を一生懸命に生きることになるんだと思う。

たまに、今いる自分の居場所が不満に思えるときがある。
でも実際はそうじゃないってことを、他の場所に移ったときに思ったりする。
逃げてみて初めて解る現実の良さっていうやつなのかな。

でもそれと同時に、不必要なモノの多さということも、逃げてみて初めて解る。

「大事なものはたくさんあったような気がするのに、今となっては全てが取るに足らないことに思えた。結局、私が必死だった恋愛も仕事も日々の生活も少し離れてしまえば、すんなり手放せるものばかりだった。」(p161)

この小説で一番好きになった部分なんだけど、
多分今の僕にとって大切なモノだったとしても、
実際はそうじゃないモノってものがいっぱいあるんだろうなと思った。

それと同時に、離れてみても大事だなと思えるモノがあるとするならば、
それが多分僕にとって一番大切なモノなんだろうなとも思った。

生きて行くにあたっては、離れてみたときにこそ大切だと思えるモノや、
人と出会っていきたいなと思う。

すごい好きな小説だし、読めて良かったなと思う。
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by pyababy | 2009-11-15 02:02 |