日々垂れ流し。
by pyababy


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問題解決プロフェッショナル「思考と技術」

問題解決プロフェッショナル「思考と技術」

齋藤 嘉則 / ダイヤモンド社



ロジカルシンキングの本。
その中でも特に、問題の解決という点に重点を置いている。

本書が他のビジネス書と違う点は、あくまでも基本に徹している点にあると思う。
難しいことばかり語るのではなく、簡単だとしても基礎を丁寧に解説している。
それゆえに、非常に応用の利く思考を育てることができる本なのだと感じた。

書いてあることを一言で纏めたら、「全ての可能性を考えろ」ということになる。
ゼロベース思考、仮説思考、MECE、ロジックツリーなんていう難しい言葉を使ってはいるが、いっていることは「頭を空っぽにして」「常識に縛られることなく」「考えられる限りの可能性を考え」「自分なりの仮説を導き出し」「それに従って行動せよ」ということになる。実に簡単だ。

だけど、それが出来ないから、僕らはこれらの本を読むわけだ。
人の思考をなぞるだけなのだけれども、自分の思考とは違う思考に触れられたり、自分の思考の整理に役立ったりするため、これらの本を読むことも大切なことだと思う。とはいえ、実践に勝る練習はなく、さっさと社会に出て揉まれることが成長へのいちばんの近道なんだろうなと思う。
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by pyababy | 2009-12-29 02:44 |

理科系の作文技術

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

木下 是雄 / 中央公論新社



作文技法の名著。

本書の肝を一言であらわすなら、「簡潔」という言葉になるのだろう。
必要最小限の言葉で、相手に100%伝わる形で書く。そのために必要な技術を詰め込んだのが本書ということになる。理科系という言葉で括っているが、文系の人間が読んだとしても必要な技術ばかりであり、理科系という言葉に特に意味はないと思う。

本書の中で自分が大切にしたいと特に思ったことは、「文章の役割を理解し、読む相手を考えながら書く」ということだ。何故この文章を書く必要があるのか。そして、どんな人がこの文章を読んでいるのか。それらを考え、読み手を想像し、読み手の疑問に答える形で、そして読み手のレベルに合わせて文章を書く。当たり前の技術なのだが、ついつい自分のために文章を書いてしまうことがある僕にとっては、常に心に留めておきたいことであった。

話が変わるのだが、理系と文系を分ける理由は、論文を書く目的の違いにあるのかなと思っている。理系の場合は実験結果の報告などがメインになるため、簡潔で、そして1つの解釈しかできない文章を書く必要がある。これに対して文系は、自分の考えを示すことがメインとなるため、文章の内容は推論が基本となり、理系ほど簡潔さや明快さが求められるわけではない。どちらが良いかとかそんな問題ではなくて、これらは求められるモノが違うから理系文系という区別が生まれ、その区別の本来的な理由が忘れ去られたまま区別自体が目的になって、理系と文系では違いがあるといった論問うが生まれたのかな。基本的に推論しか書かない僕は明らかに文系の文章を書いていて、思考も文系の思考なんだろうなと思っている。だからどうしたとは思うが。
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by pyababy | 2009-12-29 02:34 |

風に舞いあがるビニールシート

風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)

森 絵都 / 文藝春秋



森絵都さんの作品を初めて読んだ。
感想としては、「惜しい」に尽きる。

構成も文章も巧いのに、所々荒さというか、もったいない!と思ってしまう部分があった。書かなくてもいい言葉が書かれてあるから話から気持ちが離れてしまうし、時々読者を置いてけぼりにしてしまう部分があって、読んでいる間中楽しみ続けられない点が残念だった。

本書はそんな森絵都さんの短編集である。
共通するテーマは、「あなたの大切なモノは何ですか?」といったところだろうか。

他人には受け入れられない大切なモノと共に生きる人たちを描いた作品集は、どれも味わい深くて面白く読むことが出来た。凄いと思った点は、短編に登場する人物の設定が、どの話も全く違った設定になっているところだ。パティシエやNGO職員、大学生など、どれも全く違った人たちの話を一人の作家が書いているのだ。取材のたまものなのだろうが、素直に感心した。ただ、この部分においても少し残念な点があったりするのが、本当にもったいないと思った。

この作品だけで彼女への評価を下したくないので、
あと2-3作読んでから結論づけたいなと思う。
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by pyababy | 2009-12-29 02:22 |

萌えるアメリカ

萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか

堀淵 清治 / 日経BP社



別にアメリカ萌えとかそんな内容ではない。

アメリカにおいて日本の漫画がどのようにして受け入れられていったのかということを、日本からアメリカへ進出した出版社の人間が語った本である。内容は基本的に体験談であり、著者の歴史を記した本であると言っても過言ではない。

日本の文化になりつつある(すでに文化といっても問題ないとは思うが)漫画は、世界で見れば特殊なものなのかなと思う。「絵」のためにあるものではなく、「ストーリー」を楽しむための「読み物」というジャンルが異色なのかなとふと思う。

アメリカにおいては、かつては「コレクター」的な人間が漫画を集めていたそうだ。すなわち彼らはストーリーに何かを見いだしたのではなくて、漫画という物体自体に価値を見いだしていただけであった。そんなアメリカ人がやがて漫画に魅了されていくという時代の流れを感じられたことが、本書を読んでいていちばん面白かった点であった。

まあなんというか、日本の漫画はある程度は外国でも受け入れられるだろうけど、キモの部分は日本人にしか分からないものが多いかなと思う。「カタナ」を使ったものや「ニンジャ」ものなどは海外でも人気だが、その根底にある日本人の魂みたいなものは、多分外国の人には理解できなくて、漫画家のいちばん伝えたいものが正確に伝わるのかどうかはわからないなと思う。また、日本の漫画は「身内ウケ」するものが多いと僕は思っている。学園モノなんかはそのさしたる例だと思う。日本の学校生活を経験している人間だからこそ面白くて、それを知らない人間にとっては異星人の生活を読むのと変わらない感想を抱くのではないだろうか。実際の所はよくわからないけれども。でもそんなのとは違って、ドラゴンボールとか、NARUTOとかみたいな、そもそも人間界の話とはかけ離れている話は、本質的な部分で世界に受け入れられるのかなと何となく思う。

なんか書いてたら俺の漫画観垂れ流しになった。
多分こんなの誰も読みたくない!!!俺もきっと読み返さない。おわり。
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by pyababy | 2009-12-29 02:13 |

フィッシュストーリー

フィッシュストーリー (新潮文庫)

伊坂 幸太郎 / 新潮社



読もう読もうと思ってずっと読んでなかったフィッシュストーリーが、
やっと文庫化されたということなのでやっと手にとって読んでみた。

この作品は中編小説4編からなる。
1つ目と2つ目の話は、正直なところ楽しくなかった。

表題作である3つ目と、書き下ろしである4つ目は秀逸だった。

表題作であるフィッシュストーリーは、世界を救うヒーローの話。
そんな風に書くと大げさだけれども、要約するとそうなる。

4つ目の中編であるポテチは、よくある赤子入れ替えの話。
よくある、かつ、シリアスになり気味なテーマの話を、
伊坂ならではの軽く、そしてちょっと切ないタッチで描いている。

全体としては満足はできる作品かつ、スルメ作品っぽいので後日読み直し。

ネタバレ入ります。
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by pyababy | 2009-12-23 01:53 |

「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート

「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート (生活人新書)

コリン ジョイス / 日本放送出版協会



日本に住むイギリス人ジャーナリストである著者が、日本について語った本。

元々は英国向けに書かれているものであるため、よくある日本人に対しての日本語りの文章とは少し違い、ユーモアとアイロニーと軽さが良いバランスで組み合わさった日本論となっている。日本最高といった感じの語りではなく、ただ単に日本の面白い点だとか、自分が疑問に思った点などを面白おかしく語っていることが、僕としては新鮮で面白かった。

外国の人の目を通してみれば、当たり前のように思える日本社会はすごく不思議な社会で、魅力的なものなのかなという思いを強くした。まあ、僕らが外国に行って感じるギャップと同じようなモノだと思うし、隣の庭は青いっていう言葉に尽きると思うのだけれども、それだとしても日本ってどこかずれてるよなーという事実は否めないなと思う。
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by pyababy | 2009-12-23 01:14 |

ビジネスマンのための「数字力」養成講座

ビジネスマンのための「数字力」養成講座 (ディスカヴァー携書)

小宮 一慶 / ディスカヴァー・トゥエンティワン



評価が高かったから読んでみたものの、内容はイマイチ。
少ない文字数かつ内容が薄いにもかかわらず、200ページもだらだら書くなよと。

数字力という言葉ばかり一人歩きして、
肝心の内容は「頭を使って考えろ」という一言で収まる、
よくあるビジネス書と一緒でした。
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by pyababy | 2009-12-23 01:09 |

罪と罰

罪と罰

本村洋 宮崎哲弥 藤井誠二 / イースト・プレス



ドストエフスキーではなく、光市母子殺害事件についてのもの。

光市母子殺害事件の被害者遺族である本村洋さんと、評論家の宮崎哲也、藤井誠二の両名の鼎談をまとめたものが本書である。光市の事件に関しては様々なメディアから注目される傍ら、様々なメディアが伝える事実がどれも理解に苦しむものであり、よくわからなかったという記憶がある。意味の分からない主張をする弁護団に、彼らを批判する橋本弁護士(現知事)に、いつのまにか死刑廃止論にすり替えられていったことなど、事件とは本来関係ない部分が注目された事件だと感じていた。

その事件の中心にいたのが、本村さんと少年Fであった。僕の記憶に残っている本村さんは、いつも気丈に振るまい、根も葉もない批判に対しても丁寧に答え、自己の意志に従って生きようとする強い姿が印象的な人であった。「殺してやりたい」という発言も印象的であったが、それ以上に、自分の事件と真摯に向き合い、マスコミなどに対しても誠実に対応していこうとする姿が印象的であった。

「刑事裁判において被害者は忘れられた存在なのか」
本村さんが素朴に問いかける言葉が心に残っている。僕が学んできた刑事手続においては、被害者は訴訟の当事者ではなく、あくまで第三者に過ぎないというものが基本である。当事者はあくまで、弁護士・被告人・検察官の三者である。そう教わってきた。そして、僕はそれが法律のあるべき姿だと思っていた。刑事裁判はあくまでも被告の罪と罰を決める場所であって、被害者の応報感情を満たす場所ではないと、本気で考えていた。もっといえば、被告人の権利を今以上に認めるべきで、被害者については考えることすら放棄していた。被害者参加制度すら、証拠裁判主義を基調とする刑事手続を乱すものとして反対の立場をとっている人間だった。あくまで真実の追究と適正手続が刑事手続の中心であって、被害者は第三者に過ぎないと考えていた。刑事裁判において被害者は忘れられた存在なのではなく、あえて「当事者から外された」存在であると僕は考えていた。簡単に言えば、復讐の連鎖を断ち切るため、被害者はあくまで第三者という立場をとることが大切だと考えていたのである。

でもそれが、よく分からなくなった。
被害者が参加できない(被害者参加制度によってではなく、当事者として)裁判というものが、どこか腑に落ちない。今の刑事手続のシステムは、それはそれで正しいのだとは思っている。国家の維持という立場から見た時、今以上のシステムは僕には考えられない。被害者には堪えることが求められるが、復讐の連鎖を断ち切った上で被告人にとって公正な裁判を行うことが可能であるが故に、「被害者の感情」を置き去りにするならばベストだと思うからだ。だけれども、これを被害者の立場から見た時はベストとは言い難くなる。被害者は原則的には証人としてしか裁判に出席することができず、また、被害者参加制度によって意見陳述の機会が与えられるとはいえども、それはあくまで証拠としては扱われず、あくまで公の場で自己の意思表明ができるという制度に過ぎず、被害者の応報感情を満足させるほどの制度とは言い難い。

刑事裁判の本来的な意味が、真実の追究と適正手続にあるのだとするのならば、現在のシステムを変える必要は無いとは思う。だけれども、被害者の権利が主張されるようになり、裁判員制度が始まることによって市民の意見が刑事手続に取り込まれるようになり、刑事裁判のあり方が変わってきたと感じられる現在においては、他のシステムの方がベターなのかもしれないとも今は考えている。

どれが良いのか悪いのかは、僕には解らない。だけれども、何かを変えないといけない時期にきているのかも知れないと、本書を読みながら感じた。

「僕は生き様で示して、彼は死に様で示さなければいけない。」
そのように答える本村さんの言葉はもう一つ別のことを僕に考えさせた。

それは、死刑によって死ぬことが大切なのか、
死刑によって変わることが大切なのかという問いであった。

死をもって償うことの意味はどこにあるのだろうか。死ぬこと自体が大切なのだろうか。それとも、自分の罪を認め、受け入れ、死んでいくという過程に意味があるのだろうか。死刑の根本的な部分が、僕にはよくわからなくなった。

本村さんは終始、「人の命について迷いながらも考えることが大切だ」といったことを述べていた。その彼の意思は、僕には伝わったのかなと思う。彼が闘ったのは、少年Fではなくて、何も考えずにただ盲目的に権力に従うだけの国民だったのかなと、本書を読み終わって感じた。
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by pyababy | 2009-12-17 14:50 |

私が見た戦争

私が見た戦争

石川 文洋 / 新日本出版社



僕は多分、自分の知らない世界を知ることが好きなのだと思う。
だから、初めて会った人間-特に自分の知らない世界を生きてきた人間-と話すことが好きだし、自分の知らない世界を生きる人間が書く本を読むことが好きなのだと思う。

本書は、僕の知らない世界の1つである「戦争」に関してのモノである。フリーのカメラマンとして世界の戦争を渡り歩いた著者が撮った写真と、著者の言葉が纏められている。一つひとつの写真には様々な思いが詰まっていて、胸が痛くなるものも多かった。写真について語る著者の言葉も、一つひとつが重たくて、読むという行為が怖かった。

僕らが戦争について語るときは、自分の目で見たものではなくて、知識によって話をする。それゆえに僕らの話にはリアリティが無く、何故戦争はダメなのかという議論を行ったとしても、的外れな議論になり結論を出すことができない。でも多分それはしょうがないことで、僕らは戦争について語れないということを、上の世代の人間に感謝しなければならないのだと思っている。

だけれども、戦争は「知らなければいけない」ことなのだと思う。それは、心の底から戦争に反対するためには、机上で論理を組み立てるだけでなく、肌で感じた何かによって動かされることが必要だと僕は思っているからだ。

だから僕はできる限りのことは知りたいなと思って、戦争関連の話を読む。
知らない世界だから、必死になって知ろうと思いながら。
自分の想像力を、限界まで使いながら。

その中でも写真集は、色々なことを僕らに与えてくれる。

戦争中だったとしても、人はあくまで人であるということ。
銃や人の死になれてしまうこと。

人の表情から伝わる様々なことが、僕らに何かを訴え続ける。
壊された景色の全てが、戦争のむなしさを伝えてくれる。

本書のあとがきにはこのようなことが書かれている。
「世界の平和を築き、戦争を防ぐためには、戦争の実態を知り、
その悲劇を想像することが大切と思っています。」

そのために著者ができることが、著者の見た世界を伝えることであって、
そのために僕らができることは、著者が見た世界を受け止めることなのだと思う。

何で戦争があるんだろうとか、何で人を殺し続けるんだろうとか、
小学生でも感じるような当たり前の疑問を、もう一度しっかり考えてみたい。
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by pyababy | 2009-12-17 13:39 |

プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか

プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))

P・F. ドラッカー / ダイヤモンド社



そういえば、ドラッカーを読んだことがなかった。
多数の人間に崇め立てられる人が苦手なので、今まで敬遠していた。だけど実際は人生・仕事において非常に重要だと感じることを多々書いてあり、多くの人間が彼を慕う理由が2ページくらい読んだ段階で理解できるようなものだった。食わず嫌いは良くないと改めて思った次第であった。

書かれていることは、知識労働者はどうあるべきかといったことが中心だった。
僕は多分知識労働を行うみたいなので、参考になるべき所は多かったと思う。とはいえ彼の書いていることは、基本的には「あたりまえのこと」が中心である。が、「あたりまえ」のことをただただ述べるのではなく、根拠を付けて述べているから彼の言葉には重みがあるのだった。

エッセンスを一言で纏めるならば、「自分の頭で考えろ」ということになる。
「これは本当に問題なのか」「どうするべきか」「本当にこの行動がベストなのか」といったことを日々考え続けることが成果を生むことに繋がると。とまあこれだけ書くと「あたりまえ」すぎて他の自己啓発本と何が違うのかが解らなくなるが、「どうやって自分の頭で考える」が解らない人間が多数な為、考える道筋を示す本書の需要は常に存在するのだとは思う。

僕としては、「読む人と聞く人」の話が印象的であった。簡単にいえば、人によって理解の方法は違うということを理解しろといったことである。誰かに指示を出すときは、相手の理解しやすい方法で出すといった当たり前のことだが、指示を出したことに自己満足しがちな自分にとっては常に気をつけていかなければならない事項であった。

仕事を始めたら、ドラッカーを読んだ時に色々感じることが増えるんだと思う。
そのうち読み返そうかなと思う。
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by pyababy | 2009-12-17 13:15 |