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1/4のはなし

今年はもう1/4が終わってしまった。
すごく久しぶりに、ここに文章を書いている気がする。

一月からは微妙な忙しさの日々が続き、
生活全体にあまり余裕がなかったように思う。

考える事は放棄して、なすがままに生きてみたりした。
でもそこにあったのは、自分の感情がどんどん希薄になっていく恐怖と、
生の実感がまったくない日々だった。

なんのために生きているのかもわからないし、
何がしたいのかも、どう生きたいのかすらわからなくなってた。

そんな僕に、3月は色々な転機が訪れた。

一つは、東日本での地震。
もう一つは、人との出会い。

地震は、正直なところ、対岸の火事のように感じてしまう部分があった。
あまりに現実離れした映像からは、リアリティを感じられなかったからだ。
阪神大震災のとき、他の地域の人はこんな風に思っていたのだろうなと、
過去を振り返ってみて思ったりもした。

とはいえ、被害の状況は僕の想像をはるかに超えるものらしく、
日々鬱々としたニュースが飛び込んできていた。

阪神大震災の頃と違うのは、
情報を得る手段に、テレビや新聞、ラジオといった巨大なメディアだけでなく、
インターネットを通じた個人が追加されたことが大きいと感じている。

いわば誰でも放送局な時代に、
本格的に突入したんだなということを感じた。

メディアからは伝わってこない個人の想いが、
被災地域とは関係ない僕のところにもビシビシと伝わってきていた。

その中で、今の自分に何ができるのかを必死になって考えていたのだけれども、
自分にできることは、募金と献血くらいのもので、
16年前からさして進歩もしていない自分の無力さに苛立ちを覚えた。
単純に悔しかった。

直接的な支援を行える人に憧れもした。
こんなことだったら、医者になっとくんだったと、
僕の友人が絞り出したことばに、僕は何も言いうことができなかった。

そこは役割の問題だから。
そんな理屈はいくらでも理解しているけれど、
そんな理屈じゃなくて、もっと違う言葉にできない何かがあった。

今の仕事を精一杯やるしかないのか。
そう思って自分を納得させようとしてみたものの、
僕にはこの仕事の繋がる先が最後までわからなかった。

誰かが幸せになるために働いていたかったが、
どうもそれは無理らしい。

薄々と感じていた現実を言葉にしたとき、
この仕事にたいしての思いがプツリと途切れたように感じた。


そんなことを考えていた僕に、
いくつかの出会いが重なった。


たまたま出会ったその人は、僕がかつて憧れていた職業の人だった。
偶然の出会に驚くと共に、
自分がそのとき感じていた事をその人にひたすらぶつけてしまっていた。

今の仕事に対しておもうこと。
かつてはあなたと同じ職業を目指していた事。
色々考えた結果今の道にいるのだけれど、このままで良いのか迷っている事。

初対面の人に、生まれて初めて本音で話してしまっていた。
偶然に感謝した。
それと同時に、自分の進むべき道がハッキリとしていったように思えた。

動くなら、このタイミングしか無い。
それを強く意識させられた。
今動かずに、いつ動けばいいんだと。

そこからあとは、ひたすらに現実と向き合う作業が待っていた。
本当に今動くべきなのか。今の会社を辞める事に本当に問題はないのか。
安定と一人が余裕をもって生活できる待遇を捨てる事に未練はないのか。
それをずっと考えていた。

自分の心は、今動けと叫んでいる。
だけどそれに、理性が立ちはだかる。

そんな僕に、また偶然の出会いが訪れた。

旅先で出会ったその人は、
占いもやっているバーテンダーという不思議な方だった。

迷ったときは心を信じなさい。
人と向き合う仕事をしなさい。
勝負することの大切さ。

そんな感じの言葉をいただいた。
占いとかを信じているわけじゃないんだけど、
たまたまいった街の、たまたま入ったお店の人の紹介で、
たまたまその人が営むバーにたどり着いたという偶然に、
ある種の必然を感じてしまっていた。

いま、うごけと。

自分を取り巻く環境全てがそう訴えかけてくる。

だから今は、それを信じてみようと思う。
あとは、やるか、やらないかの世界になってくる。

ただ、やるだけ。

そんなことを密かに決意した3月でした。
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by pyababy | 2011-03-30 05:45 | 日常